2024年4月21日日曜日

日曜日の昼前のスタバにて

花見で京都の街も外人さんが行き交い、さすがにお店も毎夜行列ができ仕事終わりの大黒湯も週に一度くらいしかいけなかった。お店のシャッター下ろすのが1時を過ぎる。2時を過ぎる夜も何度かあった。ところが目覚めるのは、おっさんになったのか起きる時間は一緒。よって疲れがたまる。あくびも連発してしまう。おっさんのあくびは色気ないなぁ。

ところが昨夜は行列が出来なかったし少し外人さんも京都の街から少なくなった気がする。なるほど、よくわかったぞ。外人さんは時を問わず京都にくるのではない。来る時期があるのだ。GWは外人さんは関係ないから次はサマーホリデーの7月あたりまでは落ち着くとみた。その頃にはまた忙しくなるのだろう。人生の教訓で、「いい時はいつまでも続かない」だ。

今、久しぶりに河原町のスタバでこれを書いている。スタバにすら来れなかった。こうやってカフェのテーブルに座りたとえ30分でもゆっくり自分だけの時間を作る。やっぱりスタバはいいなぁ。そして今日、日曜日は午後から20時あたりまで雨模様の予報。疲れがたまった俺には今夜は雨がいい。

ああ、お願いだから柔らかい大きなお尻を枕にして、甘えて寝たい。頭を撫でてもらいながら…

2024年4月8日月曜日

疲れていても、ピチピチのジーパンのお尻は見てしまう

やっとの月曜日が来た。どうしたことか毎夜、少しの時間だが行列が出来る。それは神戸を離れて京都に来た時の目標の一つが「行列を作る」だったのでもちろん嬉しいが待っている人の気持ちを思うと、申し訳ない気持ちになり平常心になれない。自分の餃子に自信はあるが、少し自信がないところもある。だから、申し訳なくなるのだ。外食に行く。それはめっちゃ美味い料理と楽しい時間を過ごす大切な一夜だから、その気持ちに答えたいがそれがなかなか難しい。

今週も世界中からお客さんが来てくれて楽しかった。後片付けも遅くなり大黒湯もなかなか行けず疲れが溜まって、生あくびは出るわ疲れが取れないわ睡眠も中途半端で寝起きも悪い。それでも嬉しいことは毎日どこかにあり、なにかに救われている。

今週は4日連続で来てくれたのはテキサス州から日本に遊びにきた彼ら。1人はヌードバーに似ていた。せっかく京都に来たんやから、いろんなお店に行ったほうがええでと伝えたが毎夜来てくれた。でも本当に嬉しかったから「ユー ギブミー ビュウティフルパワー フォーミー」と言ったら喜んでくれた。

こうやってプライスレスな幸せがあるから俺も人として成長していける。

それと並行して、四条河原町交差点あたりで行き交うエロい美人やムチムチ白人のお尻と小刻みに揺れるオッパイとパンパンにちぎれそうなスパッツ。

どんだけ疲れていても、見てしまう。大好きだ。

2024年4月2日火曜日

さよなら野沢温泉

おばちゃんに、また来年やねとさよならし山頂から一気に下山した。2時すぎにバスに乗り飯山駅まで、それから新幹線で敦賀。で、サンダーバードに乗り換え京都だ。最後に温泉に浸かりたかったが、温泉と滑るならどうすると考えたけど滑るほうを選んだ。

25年ほど前に交通事故で右半身に麻痺が残り、リハビリを兼ねて始めたスノーボード。そのスノーボードの楽しみは毎年新鮮だ。そこには旅する楽しみ、スポーツとしての楽しみもありやはり奥が深い。そして温泉もある。京都を離れて、一旦、頭の思考回路がリセットされ現実逃避は出来るわ朝からビールやハイボール、日本酒も飲み滑りレストハウスで雪景色を何も考えず眺めて、なにかはわからないが自分との会話がたっぷり出来る。哲学的な俺になれる。野沢温泉は熱いし野沢菜はサクサクしてるし、3月も終わりになると雪溶けが始まり野沢温泉村のせせらぎも雪が溶けて滝のように水が勢いよく流れる音が聞こえる。そう、春を告げるのだ。その水流のぶつかる音は村全体に響き、張り詰めた冬の厳しさはもう過去になり、村にも旅行者は消えのんびりした時間がゆっくり流れるのだ。

今朝、まとめた荷物は宿の玄関先に置いていた。宅急便でまとめて送る。1時間ほど村内を散歩してバス乗り場に行く。2時20分にバスは野沢温泉を離れた。

その瞬間、全ては過去になって僕の冬は終わった。

野沢温泉一人旅

昨夜も野沢温泉一人旅をして最高に楽しいスノートリップの思い出を作れたので今年も絶対行きたいなと思っていた。僕が一番思い入れのあるゲレンデがここ野沢温泉だ。昨日の雨から朝になると雨が雪に変わり人も少なく昼過ぎには山から降りて京都への最後の旅が残されているが、時間のある限り滑ろう。昼ごはんも野沢温泉で食べて帰ろう。

昨夜の雪でゲレンデのほぼ全てがパウダーだった。どこを滑ってもパウダー。ゆっくりと重力にまかせ大きくターンする。リズミカルに短いとターンも楽しむ。柔らかく浮いた雪にふわっとターンし雪と会話しながら滑っていく。

昼ごはんはいつもの食堂にした。おばちゃんとさよならしたい。

ハイボールとカツ重。

2024年3月27日水曜日

ラストラン

6時に目が覚めた。

外湯まで60秒でいける。だらしない格好で温泉に浸かる。熱い湯で昨夜の疲れが溶けていく。

最終日を迎えた。たった1泊2日の短い旅やが支払いに追われてる俺にとっては長旅。楽しすぎる。素泊まりやから朝ご飯はない。起きてすぐに温泉に行き、荷物を整理して8時には玄関に荷物をまとめて出す。

山を見るとどうやら昨夜に薄く積雪があったのがわかった。これはパウダーやぞ!

ゴンドラで山頂まで行くと、まさかのパウダー天国だった。

温泉街の餃子

昭和レトロ感丸出しのラーメン屋が今夜のディナーだ。

こんなチャンスはそうそうない。温泉街の餃子を食べれるとは。酒も入ってるしラーメンはたまらん。贅沢言えば、野沢温泉地産の郷土料理な居酒屋があればそっちやが、そんなんあるわけない。

味噌ラーメンと、肉ぎょうざ、それにメニューに「しそぎょうざ」もある。その3品を頼んだ。日本酒も。

4も5もない。

餃子と日本酒に、酔いが回った。

野沢温泉の餃子

外湯を上がり宿に帰り街に出る。ワクワクするぞ。宿を出る前にウイスキーを一気に飲み干した。アルコールにまかせ、フラフラと温泉街を歩きたい。絶対ないけど、フランスあたりの初めて日本に来ましたみたいなお尻がセクシーなジャパン野沢温泉一人旅とランデブーを薄く期待する。いくつになっても夜の街はなにかがある。

宿から温泉街までの夜道は暗く少し歩いた。

細い路地を上がってみた。すると目に飛び込んできたこの看板!

ここは一択。

餃子をたべなければ!

野沢温泉の夜

滑り終え宿に帰る。素泊まりなんでほったらかし。オールフリータイムだ。まずは徒歩1分にある外湯の「新田の湯」で温もろう。湯は異常に熱い。熱い湯は大黒湯で慣れっこだ。夜ご飯はブラブラ野沢温泉の街に出て探そう。

飲むぞ!

大好きレストハウス

今日のゲレンデは雨とガスで視界は白く曇ってやや危険だ。衝突が怖い。だから一本滑ってレストハウスでゆっくり過ごすことにした。

熱いコーヒーにした。30分くらいかけて飲んだが窓の外は相変わらずガスで真っ白。俺の女がいるレストハウスではなく、長年野沢温泉には何度も来たが初めて訪れたレストハウス。昼過ぎと今日の雨のゲレンデだからお客さんは中年のフランス人夫妻だけだった。コーヒーを飲み終えたが外はまだまだ真っ白で視界が悪い。これはまだまだかかると判断しコーヒーから日本酒に変えた。

出てきたのはまさかの北光。しかもレストハウスから酒のアテ付きとは。薄く酔いが回る。滑る気ゼロ。きついくらいイチャイチャする中年フランス人夫妻のフランス語も心地いい。

いいなぁ、野沢温泉は…

2024年3月26日火曜日

野沢の女

昭和の男は「港、港に女がおる」そんな梅宮辰夫に憧れたが令和の今、この俺がそうだ。

神戸にいる頃、冬が来ると兵庫県北部にある「奥神鍋スキー場」に俺を待つ女がいた。毎年、冬が来ると奥神鍋に滑りに行く。するとお決まりのレストハウスにMというナチュラル系の可愛い子が泰三さん!と俺を待っていた。そしてここ野沢温泉スキー場にも俺を待つ女がいる。俺も罪な男よ。

上の平山荘にはもう25年毎年通っているから女将さんも仲良しだ。可愛いんよ。今日は雨のゲレンデやからスキー場もガラガラ。レストハウスもガラガラ。「あらーまた来たの」と迎えてくれハイボールを飲む。30分くらいアルコールの酔いにまかせ、レストハウスの窓からガスで真っ白なバーンを眺めていたら「今回はいつまで」と、俺の横に椅子を持ってきて1人寂しい俺の話し相手になってくれた。

俺の隣に女が座り話し相手になっている。なんかこれ、したことある空気感やと思えば、これキャバクラやん。話の内容は「女将のシーズンオフの過ごし方」について。

男と話すより女と話す方が楽しいわ。

ヴィラ タカシオ

野沢温泉観光協会に問い合わせてみた。26の火曜一泊で安いとこはないですか。素泊まりでもいいですと。三軒ほど教えてもらい電話してみた。で、決めたのがここ。決めては電話対応した中で一番おばちゃん度数が高かったから。いい人っぽかったから。俺は洒落たアメニティより、優しい対応を大切にしたい。今回は泊まれたらそれでいい。そんな旅だ。

夜行バスは朝の7.30に野沢温泉に到着した。宿を探す。少し迷ったが宿は新田ターミナルの前にあった。まあまあデカいやん。

宿のドアを開けたら、ガチ田舎のおばちゃんが登場して「乾燥室に荷物届いてるから。なんにも出来ないけどゆっくりしていって」と、気さくだ。昨日まではいっぱいだったのと言う。ゴンドラ乗り場へのバス停は目の前だからね。

今朝の野沢温泉は少し激しく雨が降っている。ならば早速山を上がりいつものレストハウス「上の平山荘」でゆっくりしよう。

シャトルバスで長坂ゴンドラまで雨の野沢温泉村を車窓から眺める。それでも来てよかった。

今、俺はここ、野沢温泉村にいる。

それだけでいい。

野沢温泉一泊一人旅 1

2週間前に寺夫妻と3人で野沢温泉に来た。その際に「やっぱり野沢温泉はいいなぁ」と。人はいいし外湯あるし昭和の香りが残っているのもグッとくる。昨年も1人で野沢温泉に来た。だから今年も1人で来たい。そう思うと京都発野沢温泉行きのバスの空席状況を調べ宿を探す。雪質を思うと早いほうがいい。宿はわからないから去年まで民宿をされていた高坂さんに、どこかないですか?と聞いたら、知り合いは春休みなのよーとのこと。ならばと自力でようやく一軒見つかった。バスの手配も完了。

てなわけで月曜日の夜、仕事を終えダッシュで京都駅。

よーし、野沢温泉一泊一人旅。スノートリップ。神戸、京都を離れ、知り合いはゲレンデのレストハウスの女将さん1人だけ。

ゆっくりさせてもらうわと、もう1人の俺に伝える。雪面と話しながら滑る。

そんなことを思いながら眠剤飲んでバスのシートを倒した。

2024年3月23日土曜日

塩屋駅前の居酒屋「静」

太平の湯に行く。

もっと若い時、ディスコに行くとワクワクして行くと落ち着いた。それが今はスーパー銭湯だ。あの気持ちとなんら変わらん。太平の湯は一番よく行くスーパー銭湯。岩盤浴はあるし、露天風呂からは淡路島は見えるし手揉みマッサージもしている。この日は熱い湯船に浸かると一ミリも動けなくなるほど身体は疲れていた。目をつぶり口は半開き状態。サウナも4回入り岩盤浴があるリラックスルームで爆睡してもた。垂水の海から淡路島が見えるスーパー銭湯で海峡の向こうに見える淡路島を見ていると、京都暮らしは遥か彼方だ。それをするために塩屋に帰ったのだ。晩御飯は塩屋駅前の居酒屋「静」でママの作る手料理と冷酒としよう。ママに予約のメールを入れといた。

気がつけば夜は近づいてきた。

太平の湯を出て送迎バスで垂水駅まで行き塩屋へ向かう。さあ「静」で飲もう。

静に着くとカウンターに予約のプレートが置いてあった。適当にアテをいただき冷酒3号。温かいママの手料理にママが選んだ冷酒。

酔いが回る。

酒と女は2合まで…

そんな言葉がふと出てきた。

2024年3月19日火曜日

元町へ帰る その3 「鰻の青葉」

元町駅のデリカフェでゆっくりした。「裁判長、ここは懲役4年でどうですか」北尾トロ著の文庫本を読んだり2階の席から駅の往来を眺める。斜め後ろの席には菜々緒みたいな誰が見ても振り返るようなかっこいいOLがパソコンを叩いている。この菜々緒が選ぶ彼はどんな男なんだ。そんな事など思いながら午前と午後が入れ替わる頃まで時間を過ごす。ここ元町のデリカフェは神戸時代、何時間過ごしたか。暇があればこの2階でサボっていた。流行りのレトロ喫茶も大好きだが、自分の、ここにいる存在すら消してしまう喫茶も大好きだ。元町のデリカフェと河原町のスタバ。同じ立ち位置にある。

もうたっぷりデリカフェで時を過ごした。店を出て元町商店街を抜け南京町に行き益生号で焼豚を買い、昼ごはんは「青葉」と決めていた。

商店街を西に歩く。神戸を離れ4年が過ぎるが商店街のお店も入れ替わりが激しい。驚いた事に入り口にあったユニクロが閉店していた。なぜだ。商店街を3丁目の西まで歩く。4丁目手前の筋を海側に曲がると昼時過ぎやから青葉のダクトから炭焼きに当たる鰻の焼くタレが真っ白の煙とともに甘い醤油の香りがいっぱいにモクモクと元気いっぱいだ。店に入ること青葉の女将が「にいちゃん、ここ座って。今日はどっち」と。かば焼きにするわ。「肝は」つけといて。

青葉の鰻。ふっくらとして弾力が残されたかば焼きに甘いタレ。炭の香りがびっしりで山椒が甘くなる。私は山椒はかけすぎかもしれないが、それでもご飯が進む。おかわり3杯した。

商店街を大丸まで戻る途中、神戸サウナの米田くんに会い元町駅に行き垂水駅に戻り午後は太平の湯でサウナに入ろう。

京都に暮らしているのが遠くに思う。そのために元町に来たのだ。

元町へ帰る その2 「サンダーバード」

先日、寺夫妻と野沢温泉に滑りに行ってきた。3人だけの旅。その帰りは金沢からサンダーバードに乗り京都へ帰る。自由席だったので寺夫妻は2人席で私はその数席前に座り出発を待った。私の隣はまだ空席だった。このまま空席だったらいいのに、もし座るなら若い頃の酒井和歌子みたいな一人旅と京都まで時間を共にしたいと思っていたら私と同い年あたりの白人の女性が座った。

その女性は数席後ろに仲間がいて英語でやり取りをしていたからきっと数人で旅行に来ている。電車は金沢を出て京都、大阪へと向かう。京都までは90分くらいだろか。私は「最後はうまくいくイタリア人」というベストセラーの文庫本を読んでいた。ふと隣の外人さんを見るとスマホを触っている。なにかを探しているようだ。私は少し読書に疲れ本をカバンに戻すタイミングで外人さんと目があった。なにげに「どちらから?」から話が始まり、初めて日本に来ましたとか箱根に行き金沢で回転寿司を食べましたとか京都では3泊したら大阪、広島へと行きます。日本は全て美味しく清潔で人は優しいとお褒めの言葉をいただいた。ノルウェーから来ましたと言う。今の日本は円が安い。先日もベトナムから来たお客さんがやはり日本は安いと言っていた。そんな言葉を聞くと不安になるがそれでもこうやって日本に来て感動してくれる。いつも思う。日本は実は魅力ある国なのにと。

その外人さんは、京都でおすすめのお店を教えて欲しいと聞かれたから私は自分の身を隠しスマホで自分のお店を引っ張り出して「ここの餃子屋はめっちゃ美味しい。きっといい思い出になりますよ」と伝えた。

その2日後、私はお店で餃子を焼いていたらその外人女性が仲間3人さんを連れて入ってきた。ここは餃子屋さんですかと。電車の中では私は眼鏡をして私服だったが仕事中はコック姿で眼鏡はしていない。正体はバレないだろう。最後に「あの時、隣にいたのは私です」と驚かそうと。しかし、その白人女性は私と目が合うとニコニコしている。それが何度か続いた。そして再度目があった瞬間パチっとウインクされ「また会えましたね」

私は「ソーリー、自分のお店を宣伝してもた」と言い、外人さんの仲間に隣に座っていたのは私ですよ。そこでみんな爆笑して一気に盛り上がった。ホンマに来てくれたんやね。餃子はどない?日本酒もイケるでしょう。

餃子もたらふく追加してくれ冷酒も楽しんでくれた。面白いことに実はその外人女性はベジタリアンのようだが今夜は忘れるわと蒸し鶏もいただき、美味しいわと言ってくれたのが嬉しかった。

最後に写真を撮りましょうと一枚。

人生は邂逅につきる。

邂逅とは出会い。もう生涯会うことはないがそんな出会いを大切にしたい。

元町へ帰る その1

昨夜は仕事が終わると神戸に帰ると決めていた。思い返せば1カ月は帰ってなかったかも。GWが過ぎたあたりからは季節も明るくなり塩屋の海もだんだん夏のそれになり、ベランダから見える景色から元気がもらえるが寒い冬の暗い海は見たくないし、深夜の塩屋駅から暗い夜道を1人トボトボ帰るのを想像するだけで塩屋に帰る気が失せる。それでも久しぶりに神戸に帰りたくなった。少し京都を離れたい。

最終電車の新快速で京都を出たのが23.29分。駅内のコンビニで缶ビールとハイボール、それと高島屋地下でドンクのカスクード。

酔いを求めていた。

2024年3月12日火曜日

ニック その2

その2日後、仕事が終わりバイトのMちゃんとまかないの餃子を食べていたら「コンコン」とドアが鳴る。誰やろ、こんな時間に…

ドアを開けるとそこにニックが立っていた。

ニック、どないしたん?
「こないだ泰三が言っていた銭湯という風呂屋に連れて行って欲しい」と言う。ニック、まじか。よし、そうなら俺は自転車やからユーは先に梅湯に向かって歩き。俺はあとから追いかけるから。ニックは、ありがとうと何度も言って先に出た。風呂屋の前で待っていてなと伝える。高瀬川という小さな川があり橋がある。そこで座っていてくれと。

俺はチャリで梅湯に向かった。するとニックは本当に橋に腰をかけ俺を待っていた。

ニック、よし今から銭湯に行こう。バット、銭湯には少しルールがあるから俺が教えるからな。と、銭湯に入った。

まずはお湯浴びて体を一旦フレッシュにするねん。それから体を洗おう。で、風呂に浸かろう。ニックと一緒に銭湯に浸かった。ニックは「アメイジング!」と日本の銭湯に感動していた。それからサウナに行こう。ニックは俺についてくる。ニック、サウナは基本はしゃべったらアカンのやで。しゃべるならコソコソとやからな。ニックはうなずく。しばらくすると身体から汗が吹き出る。よし、ニック、次は水風呂やからな。ニックは水風呂にもちろん喜ぶ。ニック、ワンモアサウナしよ。YES。フォローミー。再度サウナに。ジーッと汗を出す。ニックがコソッと俺に質問をしてきた。泰三の膝の傷跡はなに?と。あー、これは2年前に膝の骨が壊死して骨を移植した時の傷跡よ。骨が弱ったんよ。と、言ったらニックは少し残念そうな表情になった。俺はそんなつもりではなかったからすぐさまこう言った。

ニック、一番弱いのは身体の真ん中の骨が弱くなったんよ。と言った。まだピンときてない。再度、こう言った。ニック、センターボーンよ。と言い固くなった様子を右手で表す。わかるやろ、ニック。数秒後にニックは理解するとニックは笑いをこらえ静かに爆笑する。「ニック、シー!」と俺も笑顔で。

ニックも日本に始めて来て餃子屋のおっさんと仲良くなり、今、こうやって京都の銭湯に浸かり日本人のおっさんにスーパー下品な下ネタで笑っている。俺はただ日本に来たいい思い出になってくれたら幸いやと。

さあ、ニック、上がろう。俺も家に帰りたい。
1時間ほど銭湯で過ごした。銭湯を出る。ニック、写真撮ろう。記念にな。

ニック、日本の銭湯がいい思い出になれば。

2024年3月5日火曜日

ドイツのニック その1

先日、遅めの時間に外人の若い青年3人が来て、その3人が最後のお客さんとなり後片付けしながら飲んだり喋ったりしてワイワイしてた。冷酒が飲みたいと言うからグラスに注ぐと、外人の青年はメロンの香りがするやらピーチのテイストとか言い、なかなかのベテランの感想を語り出し、俺もいろいろ学んだ。日本酒をワイン的にとらえているんやなと。聞くと彼らはドイツのどこかの2つ星のレストランで修行中だと言う。するとその青年の1人がこう切り出した。

「お願いです。仕込みを見たいです」

なるほど。彼は日本の京都で一番狭い餃子屋の仕込みが見たい。そして料理を学びたいのだと。もし、これが相手が日本人やったら絶対断るが、相手はドイツやろ。ドイツならパクりようがないし、京都に来て、やっぱりいい思い出を作って欲しい。出来るなら生涯忘れられないメモリーをドイツに持って帰って欲しい。俺が逆の立場なら、例えばイタリアのシシリー島の居酒屋の厨房で、昼過ぎからお店の仕込みを厨房で見れたら一生の思い出になる。そう思うとこう即答した。

「1PM スタート アイ メイク 餃子。ユー ジャストウォッチ アンド サムタイム ヘルプ ミー マイジョブ オールライト?」

もちろんと青年は答えた。まあ、来ても来なくてもどっちでもいい。むしろ来る確率は低いやろ。旅行者はあちこち忙しい。

ところが本当にジャスト1PMに彼は来た。サンキュー、なんでも手伝いますと。早速彼にエプロンを渡して俺はいつもの仕込みを始めつたない英語で事細かく仕込みの作業の意味を伝えて彼はメモしていた。俺が手を止め説明すると手を後ろに組み姿勢を正す。洗い物はすぐ洗う。なかなかやるやないか。

三時間はすぐ過ぎて4時になり、短い修行は終わった。彼はありがとうと感謝して、とても勉強になりましたと言う。俺は「いい思い出なればそれでいい。僕もユーからたくさん学びました。こっちがサンキューやで」と伝えた。

名前は?

ニックです。

ニックが俺に聞いてきた。仕事が終われば一緒にBARでも行きたいと。ところが俺はBARには行かないよ。仕事が終わると銭湯に行く。すまんなーと断った。

ニック「それは、なんですか」

京都にはノスタルジックな公衆浴場があり、そこにはサウナ、水風呂、電気風呂があって天国みたいな風呂がある。俺はBARより銭湯やのよと伝えた。 

ニック、記念に写真を撮ろうと俺は提案した。

外に出て、お店の看板の前で一枚撮ろう。

俺も思い出の一枚になり、おそらくニックもいい日本の思い出になったと思う。

2024年2月27日火曜日

冷酒が美味い

外人さんがお店によく来るようになり冷酒が少しずつ売れるようになった。外人さんは日本に来たらやはり日本酒にトライしたくなるのだろう。もし俺がスペインに行けばcava(スパークワイン)を飲みたい。

お店に置いてるメインの冷酒は長野の飯山市にある角口酒店の「雪明かり」

この冷酒は野沢温泉に滑りに行った時に見つけた日本酒だが、サラッとして柔らかい。だが、この一択だけじゃと家の近くにある冷酒がおそらく京都一のセレクトされた「タキモト」という酒屋で、いわゆるジャケ買いで定員さんにアドバイスは一切聞かず直感で選び購入する楽しみが増え、今ではお店に常備4種の冷酒をスタンバイするようになった。

いろいろ飲んでみると、今までは抜栓した時がフレッシュで1番美味いと思っていたが以外や抜栓して日が過ぎると味に丸味が出だしマイルドに変化する楽しみや、美味すぎてツルツル飲んでしまうファンキーな飲み方、お米からどうやってこんなにも美味い味まで持っていったのか不思議に思いながらのむ酒。

が、つい飲みすぎで翌朝、二日酔いでベットから出れず全ての自分に対する甘さの自己嫌悪の沼に落入り「もう今夜は一滴も飲まない」となる。そうして一日お酒を抜くとまた次の日の冷酒が美味い。

その冷酒は、毎夜の賄いの時、餃子と一緒に飲む。

そんなこんなで昨夜は冷酒を飲みすぎた。

二日酔いの日は、自己嫌悪でじっくり自分と向き合えるメリットもあるが…

57にもなってるが反省ばかりの人生だなと。 

それでも今は美味しい餃子と冷酒の楽しみが増えた。

2024年2月21日水曜日

雲海の中で

時計を見ると3時を過ぎた頃だった。早く下山しないと宿まで帰るリフトに乗れなくなるぞ。もう少しここで過ごしたいが帰ることにする。たのんだ白ワインがたまらなく美味い。信州ワインだ。また来年、そう来年までさよならとしよう。しかし志賀高原はたまらんなぁ。

太陽が差し真っ青な空と残雪の白と木々の緑のコントラストが美しい。数枚シャッターを切る。さあ下山としよう。ゆっくりと林間コースを滑る。林間コースの楽しみ方は板と雪との会話を板から伝わる雪面とのビートを体感する。リズミカルに流れる木々。コース脇のオフピステを削る。細かいターンでジグザグの林道を対話する。速度が出ないからこそ林間を楽しむ。

時間も時間だし滑っているのは僕1人だけだった。滑った時間はたった10分くらいだが志賀高原の林間を独占できた贅沢な時間だった。

林間コースが終わり、だだっ広いブナ平コースに出た。下山したから標高も下がった。そうすると雲海の中に入りさっきまで晴天だった空も気がつけばまた灰色の中、つまり雲海の中に突入したのだ。

ブナ平は適度な斜度とかなりワイドなコース幅で気持ちよくカービング出来る。さあ、少しぶっ飛ばして帰ろう。

その瞬間、雲海の隙間から太陽が差した。

志賀高原 2日目

午前中、山頂まで行き寺子屋エリアを一本だけ滑りレストハウスでダラダラ過ごした。それから林間コースを下りジャイアントまで。またそこのレストハウスでまったり過ごしたら3時あたりになり仲間たちはゆっくり宿へ帰る。俺もそうするつもりだったが、せっかくやしもう少しくらい滑らなもったいないと思い「もう一本滑るわ」と1人でリフトに乗りに行った。

リフトを降りて帰るつもりがもう一本登り、そこにあるカフェでワインを一杯飲んで少し自分の時間を作るのも悪くない。よし、もう一本上がろう。

リフトで上がり東館山へ。それまで雲空で灰色の世界だったが山頂はどうやら雲海の上で雲ひとつなくまるで悪天候だった下界が嘘のようだ。真っ青な空だ。

思い切って滑りに行ってよかったよ。

白ワインを飲んで1人の時間を作った。

2024年2月20日火曜日

志賀高原

毎年恒例のボード仲間と過ごす志賀高原ツアー。宿も定宿のサンバレーにある「志賀の湯」ここはご飯は美味い、温泉は掛け流し、若女将はべっぴんさんで優しくリフトまで0分。だからもう10年以上毎年来ている。志賀高原に来ているのか、志賀の湯に来ているのかわからないほど魅力がありここに来たくなる。

スノーボードのテクニックに対する向上心はあるにはあるけど、気持ちよくターンが出来たらそれで充分。雪が降るレストハウスでコーヒー飲んで本でも読んでゆっくり過ごす。ビールを飲む。それだけでも楽しい。

乗っているボードの板も20年以上昔の古い板を愛用している。これはボード仲間の松本さんからいただいたロシュニョールのアルペンの板でデザインもレトロで可愛い。もう新しい板は買いたいとも思わない。これがいい。むしろ、このレトロな板でカリカリのカービングターンを決めたい。俺の古いツレのサアーフアーで、宮崎で俺が教えた餃子を売っている奴がおるねんけど、そいつが宮崎の海でえげつない波のパイプをライドしている写真が宮崎空港に飾られてるほどの腕前のサアーフアー。一度そいつに宮崎に会いに行った時「泰三、板なんかなんでもええねん。こんなボロボロの板でバチっと乗るんがかっこえーねん」とボロボロのヤフオクで8000円で買ったサァーフィンの板を宮崎で見せてもらったことがある。俺はそのスタイルや生き方に俺も共感した。だから俺もそれ以来このレトロなロシュニョールの板を大切に乗るようにした。新しい板を買いたいとも思わない。それをカッコいいと自己満足している。

せめて趣味の世界は自由でいたい。

2024年2月11日日曜日

びっくり

昨夜、外人さんのお客さんが1人で来てくれた。
美味しい、美味しいと餃子を食べてくれたが驚いたことにその外人さんがスマホを俺に見せこう言った。

「とても面白いです」

そのスマホを見ると俺のブログが英訳されていた。まさか外人さんが読んでいるとは!

聞くと英訳アプリで変換しているから少しニュアンスが違うとこはあるが面白いと。

予想外とはこの事。素直に嬉しい。

2024年2月9日金曜日

白いTシャツにリーバイス

中年のオッサンになると服装にその人の生き方が現れると思う。

完璧なオシャレ、金の匂いがプンプンするオシャレ、季節の気温に合わせただけのオシャレ、ユニクロやノースフェイスでまとめたオシャレ。俺もお金があればオシャレしたいがついユニクロでなんとかまとめてしまう。ダサい俺。いつかお金に余裕があればオシャレしたいなと思うが本当に服が好きならお金がなくてもそれなりにオシャレを楽しめるのだろう。それすらしない俺。しかも俺は昔の雑誌ポパイで育った世代やから1番かっこいいオシャレは白いTシャツにリーバイスの色褪せたジーパンやと今だに思っている。その時が来たとき、少し日焼けした肌に嫌味のない筋肉が胸と腕にまとわり、そのセクシーな身体からは薄くタクティクスのシャワーコロンにつつまれ優しくオンナをいわす。

いくら完璧なオシャレでも裸になったとき、たよりない体ではアカン。そんな30年前の底辺な考えがある俺。

それでも少しはオシャレしたい。先日、ホンマに久しぶりにユニクロ以外の服を買った。お店からすぐの四条河原町にあるZARAのショーウィンドウに飾っていたマネキンのコーディネートに心が惹かれ、それを写メしてそのままZARAに入り3階メンズコーナーに行き、先ほど写メした携帯を見せ「何も考えずこのまま全てください」と伝えた。

そしてZARAのにいちゃんに「今日からユニクロを卒業してZARAと契約する。ユニクロは下着と靴下だけにします」と宣言した。ZARAのオシャレなにいちゃんは「僕に任せてください!」と言ってくれた。嬉しい。

このコーディネートで春先に、丹波あたりの手打ち蕎麦屋、千本の焼肉「江畑」、御所西の「サルティバンコ」あたりで胸がパンパンにふくらんだお色気ピンクなドキドキするミセスと白ワインを飲むのが57歳の男の夢。セーターの下から少しだけシャツを出すんやな。ヨシヨシ。

こんな事を考えているから、俺は出世しない。

2024年2月7日水曜日

Re: 三千院

iPhoneから送信

> 2024/02/04 12:47、古屋泰三 <taizo.1016.gyoza@icloud.com>のメール:
>
> 出町柳から電車に乗り終点で下車。それからバスに乗った。どんよりとした曇り空。三千院で降り三千院へと歩く。さすがに平日の冬の3時あたりのせいか人はまばら。入り口の門前には京都で有名な漬物屋が数軒つらなり、さすが三千院だなと。垣根にはびっしりの苔。寺院に来ると美しい苔を見る事がある。それだけで気分が盛り上がるのはどうしてだろう。
>
> お金を払い寺の建物に上がる。誰もいなかった。広い畳の先に綺麗に整理されたお庭が広がる。誰もいないから畳にゴロンと横になり目をつぶってみた。それから進路を歩くと名前のわからない仏像がありそこで建物から出る。そして杉のような大きな木が並び、導かれるようにその小道を歩くと小さなお堂が現れた。そのお堂は数段上がると中が見えそうなので、なにがあるんだろと階段を上がった。
>
> そこには大きな阿弥陀如来が静かに鎮座されていた。少し暗いが阿弥陀如来のお顔がじっと俺を見ている。薄く開いた半目で俺を見ている。
>
> 俺はその目を俺からも見たい。
>
> 阿弥陀如来の目を探した。すると女性の声で「阿弥陀如来さんはなにをゆうてはりますか」と聞かれた。それは、その阿弥陀如来のそばで三千院で働く案内人のお姉さんだった。
>
> 「ゆっくり話してくださいね」
>
> 俺は、話しかけられているか、私が阿弥陀如来に問いかけてるかわかりません。ただ、全てお見通しにされているのは確かです。と、答えた。
>
> お姉さんは「今日はきっと阿弥陀如来さんに導かれこちらまで来られたんですよ。この上にお不動さんもおられます。よかったら」
>
> 三千院には不動明王もいるのか。俺は不動明王を崇拝している。毎日、真言を唱えているほどだ。俺は胸がわいた。阿弥陀如来堂を後にし、お不動さんに向かって歩いた。
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2024年2月6日火曜日

不動明王

大好きなプロゴルファーのジャンボ尾崎こと尾崎将司がここぞというパッティングやシーズンオフの時に寺にこもり護摩修行の際、不動明王の真言を唱えると聞き、俺もそれを真似するようになった。俺は家系がクリスチャンだが、こだわりはない。日本人だからやはり仏様の教えが身近に思う。出勤する前にアイロンをあて、さあ家を出る際に真言をとなえ、仕事が終わり大黒湯のサウナの中で心が無になった時に自然と真言が心に現れ唱える。不動明王の言葉。もちろん不動明王についても少し知識もつけてはみた。あの、不動明王の厳しいお顔は俺に対して怒りの表情か、あれいは俺を守るため俺の代わりにあの怒りの顔で他者を蹴散らせているのか。

そんな不動明王が三千院にあるとは知らなかった。大好きな三千院に、大好きな不動明王があるとは。不動明王さんが鎮座するお堂に入る。お不動さんはやや遠くにあり表情がよく見えない。それでも、そこに三千院の不動明王がいる。俺は無心になんども真言を唱えた。

なまくさんまんだばさらなん
せんだまかろしゃだ
そはたや
うんたらたかんまん

もういいだろうと唱えおわり、記念になにか買おうとお守りを選びお金を納めた。お寺のお坊さんがいた。お坊さんに感謝の気持ちを伝え、俺は心が無になった時、心のどこからかはわからないが真言を唱えますと伝えたらお坊さんはこう言った。

真言は心が無になった際に出るのではないのです。心が弱い時、迷い、不安、助け、そんな時に真言が現れ不動明王さんが、その真言であなたを守ってくれる。あなたが真言を求め不動明王に助けを願う時、真言が現れるのです。

なるほど。三千院のお坊さんが言うなら間違いない。では、真言の語の意味、例えば「なまくさんまんだ」とはなんなのですかと聞いた。お坊さんは「意味などないです。なにも思わず唱えてください」

結論から言えば、今日、ここ三千院に来てよかった。図書館が休館日でよかった。そして今日、なぜ三千院に来たのか。俺が三千院を選んだのは確かだが三千院に呼ばれたような気もする。すっかり大原は夕刻を迎えようとしていた。

バスに乗り出町柳まで。出町柳でスーパーにより牡蠣を買い今夜は家でカキフライにしよう。

2024年2月4日日曜日

三千院

出町柳から電車に乗り終点で下車。それからバスに乗った。どんよりとした曇り空。三千院で降り三千院へと歩く。さすがに平日の冬の3時あたりのせいか人はまばら。入り口の門前には京都で有名な漬物屋が数軒つらなり、さすが三千院だなと。垣根にはびっしりの苔。寺院に来ると美しい苔を見る事がある。それだけで気分が盛り上がるのはどうしてだろう。

お金を払い寺の建物に上がる。誰もいなかった。広い畳の先に綺麗に整理されたお庭が広がる。誰もいないから畳にゴロンと横になり目をつぶってみた。それから進路を歩くと名前のわからない仏像がありそこで建物から出る。そして杉のような大きな木が並び、導かれるようにその小道を歩くと小さなお堂が現れた。そのお堂は数段上がると中が見えそうなので、なにがあるんだろと階段を上がった。

そこには大きな阿弥陀如来が静かに鎮座されていた。少し暗いが阿弥陀如来のお顔がじっと俺を見ている。薄く開いた半目で俺を見ている。

俺はその目を俺からも見たい。

阿弥陀如来の目を探した。すると女性の声で「阿弥陀如来さんはなにをゆうてはりますか」と聞かれた。それは、その阿弥陀如来のそばで三千院で働く案内人のお姉さんだった。

「ゆっくり話してくださいね」

俺は、話しかけられているか、私が阿弥陀如来に問いかけてるかわかりません。ただ、全てお見通しにされているのは確かです。と、答えた。

お姉さんは「今日はきっと阿弥陀如来さんに導かれこちらまで来られたんですよ。この上にお不動さんもおられます。よかったら」

三千院には不動明王もいるのか。俺は不動明王を崇拝している。毎日、真言を唱えているほどだ。俺は胸がわいた。阿弥陀如来堂を後にし、お不動さんに向かって歩いた。

2024年2月2日金曜日

叡山電車

スマホで位置を調べ府立図書館に向かうと、前に行った京セラ美術館の向かいにあった。ところが入り口を探すと「本日休館日」のチラシが。もちろん休館日をスマホで調べたが僕の調べ方が間違えていたのか。こんな初歩的なミスをする俺。もしこれが初デートなら一発で点数が下り取り返しがつかないだろう。1人でよかった。腕時計を見ると時刻は2時前。ならばと三千院に行き先を変更する。地下鉄東山駅から三条京阪へ。そこから出町柳まで行き叡山電車に乗り換え八瀬比叡山口駅。そこからバスに乗り三千院だ。ヨシヨシ。それも悪くない。どうせ予定なんかないし一度は行ってみたかった三千院。京都大原三千院のイントロが何度も頭で流れ始めた。少しお腹がすいていた。出町柳に着きシズヤのパン屋があった。サンドイッチとコーヒーを買い電車を待つ。こんな時があるからオリンパスのペンのカメラでフォトウォークを楽しむぞ。

冬の昼下がり
出町柳
三千院
サンドイッチと缶コーヒー
オールドデジタルカメラ

ユニクロ野郎な俺だが、京都を楽しむ。

2024年1月30日火曜日

1/30 火曜日

今日の休み、どうしようかと昨夜から餃子を焼きながら考えていた。どうやら明後日の水曜日あたりから天気は下り坂らしい。

1、神戸に帰り、元町で青葉の鰻を食べ塩屋に帰り太平の湯〜塩屋駅前の居酒屋「静」

2、京都でジムで筋トレし、京都府立図書館でたっぷり読書

3、奈良の興福寺の阿修羅像を見に行く

4、京都駅から三千院へ

朝、起きてジムに行き帰宅して洗濯2回回したら予定より2時間も過ぎていた。奈良と神戸はあきらめ京都府立図書館にした。七条京阪から三条京阪へ。駅を降りたら古い食堂を見つける。この食堂はよく雑誌で拝見した有名な食堂。はらぺこだったので簡単なラーメンを注文した。満腹になると読書に集中できない。

以外とすぐにラーメンが到着した。

懐かしい昭和のラーメン。カツカレーも食べたかったがここは我慢してお店を後にした。

府立図書館を探して歩いた。

2024年1月25日木曜日

1/24 水曜日

夕方から雪が降り出し滋賀も大雪警報が出た昨夜、さすがに地元のお客さんは数組だったが外人さんが7割でまあまあ忙しい夜だった。スペイン、フランスの小さな島から、台湾、NY、ロンドン。

火曜日に、とある料理人をスカウトしに帰り酒を飲んだがおそらく断られるだろう。本当に右腕が必要だがかなり難しいそうだ。おそらく断られるだろう。俺に、餃子屋に、まだまだ魅力がない。うーん。

人生は邂逅につきる。いいご縁がありますようにだ。

まかないの餃子を食べて1日が終わった。

2024年1月23日火曜日

その3

天気予報では今季1番の寒波が来るという。朝起きてテラスから海をみるとどんよりと暗く冷たい冬の海だった。

今日は夜の7時に塩屋で後輩のヤツと飲む約束がある。俺から誘った。確率は数パーセントだが俺の子分にならへんかのスカウトだ。それまで時間があるから昼ご飯は元町の「鰻 青葉」で鰻をいただく。

昼過ぎにに青葉に着いたら「泰三さん」と声がする。振り返ると30年来の7つ下の後輩が。こいつとは俺がまだフラフラしてたチンピラ時代からの仲間で弟みたいなヤツ。一緒に鰻食べよとなり偶然が重なる。まさか鰻の青葉でツレに会うとは。鰻を食べ終わり俺がトイレに行ってる間にツレが支払い済ましてる。

その後、昭和なおっさん2人は近くのタバコ臭い喫茶店でコーヒー飲む。

俺もツレも飲んだコーヒーは、砂糖2杯入れの巻。お前もたいがい甘めやな。泰三さんもですやん。

これでいい。

その2

京都駅に着く。日が暮れる頃の京都駅は街に行く人と帰宅する人が交差し活気がある。今は月曜日だが気分は休みに突入してる。構内のコンビニに寄りハイボール缶を買い、ベルトを緩め新快速に座る席を確保しハイボールを一気に飲み干した。先ほど購入した文庫本を読む。それを読みながら今夜の晩御飯の予定を考えた。4択だ。

1、三宮で下車して高架下の居酒屋か串カツ屋
2、元町駅で下車、駅北の焼肉屋
3、垂水駅で下車、駅南の居酒屋
4、塩屋駅の食堂「しろちゃん」

いろいろ考えたが一旦電車を降りてまた乗るのが面倒くさい。ここはさっさと塩屋に帰り、久しぶりに食堂「しろちゃん」で地元飲みにしよう。しろちゃんのママさんにも会いたい。

塩屋駅に着く頃には日が落ち、寂しい夜の駅前に居酒屋の明かりがポツリと灯るそれになっていた。しろちゃんの暖簾をくぐると友人夫妻が2人で宴会していた。ツレ夫妻の旦那は葉加瀬太郎な髭野郎、ワイフは関西では有名DJのカレンちゃん。10年前に塩屋に移住してローカルになって楽しんでる夫妻。ここは一緒に飲むとなり3人で乾杯となった。

話によると、食堂しろちゃんは週末にはSNSでバズり行列ができるようになってるとのこと。そりゃそうなるわ。ここはホンマにええ昭和大衆食堂。いつまでもバズって欲しい。

1/23 塩屋に帰る その1

いろいろあって月曜日を休む事にする。夕方にはシャッターを下ろして河原町から烏丸まで歩いた。それから地下鉄で京都駅〜塩屋へ。

夕方の四条河原町から烏丸は仕事終わりのサラリーマンやOL、観光客、学生が行き交い烏丸の西が夕暮れで一日の終わりを感じる。烏丸あたりに近づいた。地下に入る入り口を見つけ階段を降りたら本屋があった。俺は本屋を見つけると入りたくなる。今からは塩屋に帰るだけ。時間はあるから本屋に入り帰りの電車や塩屋の家でなにかを読もう。一冊のつもりが3冊。

神戸への新快速に座れるのを願う。

めは

2024年1月22日月曜日

カメラが大好きで

1週間がようやく終わりに近いてきている月曜の昼に四条河原町のスタバでこれを書いている。

四条河原町のスタバのカウンターは阪急河原町駅6番出口を上がったその上にあり四条道りを眺める形のカウンターだ。このカウンターが空いてれば必ずここに座る。そこでゆっくりコーヒーを飲む。砂糖にミルクを入れて。行き交う通行人、流れるタクシーや市バスを眺めているだけで頭が空っぽになり心が落ち着く。そんな瞬間でもエロい髪型の熟女のオッパイ、キャンキャンした女のオッパイを確認してしまう。コーヒーの味なんかどうでもいい。

小学5年あたりから仏像の魅力にはまり京都や奈良の寺におじいちゃんに連れていってもらい6年あたりからは1人でよく京都に来ては写真を撮っていた。それから34歳あたりからスノーボードを覚え雪山の写真を撮るようになった。あの頃はまだフィルムカメラだった。どうゆう経緯で買ったのは忘れたけどその頃はペンタックスのMZ3を愛用して、ゲレンデに行く時は必ず首からぶら下げたくさんシャッターを切っていた。その作品を集め神戸大丸近くのギャラリーで個展もした事がある。その後、デジタルカメラが普及しいつのまにかMZ3はほったらかしにして存在すら忘れていたが先日、発見してとても懐かしくなりどうしたらいいか考えた結果、このフィルムカメラにオールドレンズをつけてみるのもありやなと、8000円で約60年前のレンズを四条河原町にあるカメラのナニワで買い装着してみた。

京都の暮らしに楽しみがふえた。

こうやってブログを書いているが、行き交う女のオッパイやお尻を探している。

2024年1月16日火曜日

太平の湯

1週間が終わりやっと火曜日が来た。正月も終わり、恵比寿さんも終わりこれから3月あたりまでは毎年のことだが忙しくなることはないだろう。昨夜も8時過ぎて客足はパタリと止まった。大黒湯も行かず真っ直ぐ帰宅する。

今日の休みはレンタカーを借り神戸に帰った。赤穂へ牡蠣を食べて地元塩屋に帰り3時あたりから太平の湯でゆっくり過ごす。

今日は京都を忘れ見慣れた景色の淡路島と明石大橋を眺めると、以前は毎日見ていた風景やからなんにも思わなかったがこうやって離れてたまにしか見ないこの一枚の景色が美しく壮大に目に入る。明石大橋は夕暮れが1番映えるのだ。

岩盤浴でたっぷり汗を出し、フロアで婦人画報を読む。

2024年1月15日月曜日

銭湯仲間の居酒屋にて

商店街を出て左に向かって歩くと洒落たイタリアンが開いていた。一度は通り過ぎたが今日は予定のない1日だったので、俺はさっきもコンビニで缶ビールを飲んでしまいただブラブラ歩いているだけだった。なんの予定のない一日、知らない街を1人で散策する。昼過ぎに開いているイタリアンを見たらもう少し飲みたくなった。イタリアンの扉を開けてスタッフに「ランチは何時までですか」と聞くと2.30ラストオーダーという。あと30分は過ごせそうだ。席に座り簡単な前菜とビールをいただく。店内を見渡すと石窯があった。ここはピザ屋と知る。

店を出て少し歩くと三条京阪駅に着く。あーここはその辺りやったんか。これはいい。このまま七条まで帰れる。家に着くと3.30。ソファに座ると1ミリも身体が動かない。疲れたのかそのまま1時間ほどソファで寝てしまった。目が覚めて、今夜の予定を考える。もう京都駅あたりに行く元気もない。家の近辺から離れたくない。ならばと、まずは銭湯に行きサウナどっさり入り電気風呂に浸かりリセットし、1人休日の第二部を楽しむぞ。チャリに乗り白山湯に行ったが暖簾は閉まってあり休みだったので以前は毎日行っていた梅湯に行く。梅湯はサウナの梅湯とうたっているが実は梅湯は水風呂がいいのだ。梅湯で2時間。サウナで汗を出しながら「このまま風呂上がって行けるのは櫻バーしかないな」となり電話するとかわいい女将さんが「カウンター前の狭い席なら」と言う。櫻バーのカウンター前の狭い席とは実は特等席なのだ。その席は大将が調理する持ち場の目の前であり、大将と話せれるVIP席なのだ。俺が1人で行く時は必ずカウンター左から3番目の席に座る。

梅湯を出て帰宅し、ほんの少しオシャレして清水五条から東へ。大和大路を上ると櫻バーだ。

この夜もやはり俺の席は左から3番目だった。アテは造り、野菜天ぷら、てっぱい。それと生ビール大と日本酒。大将と競馬の話と銭湯の話だけで1時間。だったそれだけの酒やのに、ご馳走様と店を出ると、どこを歩いているのかわからないほど酔っていた。

それから高瀬川そばにある美人ママのバーに行き、さらに酔いわまわる。気がつけば帰りにスーパーに寄りカレーの具材を買い、玉ねぎとスジ肉でニンニクどっさりカレーを作っていた。

2024年1月14日日曜日

見知らぬ商店街

昼下がりのビールは気持ちよく酔う。すぐ酔う。酒も入り時刻の事はどこかへ消え、ただ昼下がりの午後、なんとなく広い道を感覚だけで探して歩いたら、これはおそらく蹴上や都ホテルに行きそうな広い道に出た。そこを右折すると軽く下りになり鴨川に着きそうな感じだったのでそのまま歩いた。昼前に家に帰り京都駅あたりで遊ぶ計画は諦めとにかくゆっくり過ごそう。酒を飲むとすべてがどうでも良くなった。

すると左手に古びた細い商店街が見えた。時間はたっぷりある。とりあえず歩いてみよう。商店街のほとんどはシャッターが下りて音のない静かな時間が流れている。居酒屋があいていた。肉屋、誰が買うねんみたいな古びた服屋、接骨院、喫茶店、洋食屋…

洒落た包丁研ぎ屋があった。入ってみると天然石を削った砥石が並び、その奥で若い男が包丁を削っていたので、ここは何屋さんですかと聞いたら包丁研ぎ屋ですと言う。なるほどと感心し、包丁研ぎの悩みを言うと「みんなそうですよ。真っ直ぐ研ぐのはなかなかです。よかったら持ってきてくれたら直しますよ」

これはいいお店を知った。見知らぬ商店街に迷い込んだ意味があったやないか。必ず来ますと伝えて店を出た。それから広い道に戻りおそらく鴨川に出るであろうな方向へ歩いた。

2024年1月12日金曜日

美術館にて

大吉の後、四条河原町からバスに乗り京セラ美術館へ。あの辺りには京都に来て初めて行った。巨大な鳥居があった。それは平安神宮だと知る。そのすぐそばに美術館はあった。この辺りは平安神宮があり美術館がありあたりにはビルやマンションもなく見上げると乾いた冬の空がいっぱいに広がり、いろんなことを忘れさせてくれる。ただ空を見ているだけでいい。つまらん悩みなどどうでもよくなる。

美術館など行くことがないから、美術館に足を運んでいる自分に、そんな時間に大満足だ。美術館に入り説明を聞く。よくわからないが絵と彫刻と書道とデッサン。館内を歩いてみたが彫刻と書道は全くわからなかったし、絵も8割は意味不明だったがいくつかは、いいなぁと。

美術館は1時間ほど。

それからコンビニで缶ビールを買い、早速コンビニのテラスで昼飲みする。酒を飲むと全てがどうでもよくなってきた。あたりを散策しよう。カメラも首からぶら下げて、どこから見ても物腰の柔らかいダンディなおじさんに見えるぞ。

昼下がりの岡崎辺りを散策する俺。  
オールドカメラをぶら下げて歩く俺。
美術館に行った俺。
Fカップとエロい尻が好きな俺。
京都で1番小さな餃子屋の俺。

コンビニのテラスを離れたが方角がわからない。とりあえず広い道がありそうな道を歩いた。

2024年1月10日水曜日

恵比寿さん

お客さんからいただいた日展のチケットが1枚あるのでせっかくだから行くことにした。その前に恵比寿神社にお参りだ。昨夜、大黒湯の女将さんが朝の10時に宝恵かごを見れると言っていた。どうせ行くならとそれも見よう。それから京都美術館に行きサクと見て12時には帰宅して本屋でも行き喫茶店で読書しよう。カメラをぶら下げて家を出る。

まだ時間が早いのか恵比寿さんもそんなに人はいなかった。そうすると遠くから「ほいさ、ほいさ」と時代劇から飛び出した宝恵かごが。かごの中には芸者さんが。いーなぁ。京都は。

元旦に引いたくじが大吉だったからくじをひくのをためらった。大吉のまま終わりたい。が、もし大吉2連発ならマックス縁起がいい。迷ったがここは勝負だ。大吉を引くんだぞと念じくじを引くと、まさかの大吉だった。

たとえくじ引きとは言え、大吉2連発は嬉しい。河原町までご機嫌で歩き201番のバスで京都美術館へ向かった。

2024年1月9日火曜日

正月あけの休日  その1

昨日は昼から、今夜は神戸に帰るか京都で1人でゆっくり過ごすかを1人で相談しながら餃子を焼いていた。


最終電車で塩屋に帰り、火曜日は京都の全てを忘れ海を見ながら白ワイン飲んで絵を描いて夕方から駅前の居酒屋「静」で冷酒を飲むか、このまま仕事が終わりシャッター下ろして大黒湯で「1週間お疲れ様でした」と、年始からたった3日しか働いていないのに、たっぷり銭湯に浸かり労働の疲れを取るか考えてたが最終電車に乗る時間には間に合わず結局、12時過ぎに大黒湯に到着してサウナ、水風呂、電気、泡とフルコースの仕事終わりになった。大黒湯にしてよかった。

2024年1月6日土曜日

その3 ヨドバシにて

アマゾンでモーニングした後、そのまま京阪に乗り祇園四条まで。それから店に行き5分ほど用事がありそれから家に戻りひと風呂入って京都駅のヨドバシに向かう。休日なので首にオリンパスの古いデジカメぶら下げて。僕はカメラが大好きだ。上手くはないけど、何気ない景色を撮る。ストリートフォトだ。高いカメラなんか買えないし技術が追いつかない。3万以下のデジカメの中古で大満足。フジのカメラが欲しかったがなぜかオリンパスのOMとPENを持っている10年以上前の中古。この日はPENをぶら下げて。京都駅前にカメラのキタムラがある。まだ時間は12時前。ぶらりと立ち寄ってみた。少しオールドレンズが気になっていたから。

キタムラにいく。ペンタックスのスーパータクマ55mが5000円で発見した。時間もある。定員さんに質問すると、どこから見てもオタク度数120点で、カメラに対する愛情が半端ない。僕がイチ質問すると20も30も答えてくれる。優しいのだ。ペンタックスにスーパータクマのレンズを装着するアダプターを入れても8000円くらいだったので嬉しくなり購入した。2012年発売のカメラに1965年発売のレンズを装着する楽しみ。オタクも我ごとのように喜んでくれた。オタクの名言「カメラには時代も値段も正確はないんですよ」

なるほど。そうか。人の生き方にもつながるなと。いい言葉をいただいた。

それからヨドバシに行き本屋で1時間、カバンコーナーで1時間、ノートパソコンコーナーで1時間。

今日は散財した気だったので晩御飯はスーパーで鱧が500円で売っていたので自炊だ。それと缶ビールロング1本。

MacBookからWindowsに写真と音楽を移動させたいが、結局なにもできず12時まで頑張ったが神経がイライラしただけだった。

ヨドバシの本屋さんで買った一冊。ウーエンさんの料理本。ウーエンさん、好きなんです。


2024年1月5日金曜日

その2 豊臣秀吉の墓へ

昨夜、大黒湯のサウナの中で明日の計画を考える。その計画の70%出来れば合格にしよう。今までの経験上、予定通りしたためしがない。まずは豊臣秀吉の墓は絶対行こう。

7時に目覚め、8時には七条大橋を渡り豊臣秀吉の墓まで約30分歩く。夏以来、久しぶりに登った。500段の階段を上がり墓に着く。その墓の左に入ると眼下に清水寺と御所が見える。名前はわからないがその先には山々が。その盆地のど真ん中に鴨川が。京都に引っ越しもうすぐ4年目か。

数分ほどで階段を下り、七条の喫茶アマゾンでコーヒーを飲むことにした。

正月最後の休日 その1

正月休みは竜と過ごして昨日の夕方に京都に帰った。京都駅で竜と別れ少しやれやれだった。3日だけだが京都を離れ志賀まで行くとなぜだろう、駅を出て京都タワーの灯りを見たら京都に引っ越して初めてホッとした。今夜は自炊は無理やから駅前の安い焼肉屋でサクッとホルモンとビールとご飯で1人ごちだ。俺は生焼けとよく焼きのホルモンを一個ずつ交互に焼く。それとビール。ハイボールも追加した。それから帰宅して洗濯回して、あまりにも肩凝りがひどかったからここは西洋医学に任せてロキソ飲んで大黒湯で思う存分サウナと電気風呂で疲れを癒そう。

大黒湯に着いたのは8時すぎ。こんな早い時間に大黒湯なんか滅多にない。思う存分つかるぞ。約2時間浸かり風呂上がりに20円のマッサージ機を6回、そしてロキソも効いてきた。疲れもサッパリだ。

帰宅して静かなヴァイブのJAZZを聞いて眠剤飲んで爆睡する。

2024年1月4日木曜日

竜と志賀高原

今、二泊三日の息子と2人で行った志賀高原の帰りの電車でこれを書いている。長野発名古屋着の特急しなの。名古屋から俺は京都、竜は新大阪へ。京都でさよならだ。中学にもなると京都にわざわざ俺に会いにくるより友達と遊ぶほうを選ぶだろう。京都にも来なくなった。会えるのは冬のスノーボードの時だけになったがそれは仕方ない。それでも、こうやって二泊三日で過ごす志賀高原の時間は俺は楽しかったし、父親の気持ちにさせてくれてありがとうだ。あいつが暇さえあればスマホばかり見てるその姿を見てるだけでイライラする。一緒にご飯を食べたが好き嫌いはまあまあ激しい。それだけでむかつく。

それでもこの三日間は楽しく過ごす事にした。注意してその日から直るなんてありえない。それよりオモロイ魅力ある父親を選んだ。説教など一切なしだ。ただ、空手とサッカーをしているおかげか他人への挨拶だけはしっかりしていた。それでよしだ。

それより、俺と竜をつないてくれているスノーボードに感謝だ。リフト乗り降りする際に係員さんにへの挨拶をしろとは言わず俺が「ありがとう!」と言う。それを彼も少し真似している。ゴンドラ乗る時、ボードの雪を払うこともしていたし、ヨシヨシだ。今回は竜とコース脇に残されたパウダーを攻める遊びを教えたら竜はパウダーの魅力を知り楽しそうにパウダー遊びを覚えて、もう一つスノーボードの魅力を知ったと思う。カービングのテクニックはその次だ。まずは楽しむことが大切だと思う。とにかくスノーボードというカードがあるからこうやって志賀高原にこれたのだ。スノーボードに感謝だ。二日間、怪我なしで終われたので3日目は滑るのをやめた。これで怪我でもしたら来年がなくなる可能性がある。とにかく笑かす事に専念した。教育なんか一ミリもしなかった。本当は俺なりの男道をきっちり教えたいが奴はそんなのはウザイだけだろう。

宿を出る時に、宿の人にお願いしてシャッターを切ってもらった。その際、竜を俺の幼稚な笑いで爆笑させ最高の一枚が撮れた。一緒に過ごしてないがよく似たポーズだ。

もし大学行きたくなれば京都にして欲しい。

2024年1月1日月曜日

初詣は八坂神社

今夜から息子と志賀高原に滑りに行く。それまでは少しでも正月気分にふれたい。初詣を近所の豊国神社か東本願寺か八坂か迷ったが八坂にした。京都に引っ越して一度もお詣りした事ないし。チャリで行くか京阪か。ここは観光気分で京阪にした。人混みの1人になりたい。八坂は雨上がりだったのか、それほど混雑はしてなかったがそれでも八坂神社。お賽銭のとこまで行くのは無理なほどの人だったので遠くから手を合わし数秒だけ心を鎮める。せっかくのお正月やから帰り際におみくじを引いたら驚いた事にまさかの大吉だった。しかも1番と記してある。確か昨年の恵比寿さんも大吉だった。以前は小吉以上は引いた事なかったのに。俺はくじ運は悪いほう。勝率50%の賭けなら負けるほうなのに。2024年、いきなり縁起がええぞ。ヨシヨシだ。

帰りは混雑をさけ七条まで鴨川を歩いて帰り、家の掃除をしたが、どこが綺麗になったかわからん。唯一、掃除機の吸いが悪いから分解したら大きな毛玉がごっそり吸い口にへばりついていた。その毛玉を取り分解した部品を戻すのに何分かかったんやろか。そうこうしてると地震が来た。まあまあ京都でも揺れた。

夜になり志賀高原への旅の準備して家を出る。

竜と久しぶりに会う。

あいつは今、中学1年の冬か。

あの頃の俺は、女子のブルマーの膨らみと部活と銭湯とエロ本しか頭になく反抗期なんか1ミリもなかった。

年の瀬は大黒湯

大晦日の昨日は正月休みに息子の竜望と志賀高原に滑りに行くのでボードの板を取りに行かなアカンので、レンタカー借りて塩屋に帰り7時あたりに京都に着いた。短い一瞬だが塩屋の海を見れてよかった。

この朝は錦市場にバッキーさんが「漬物でも食べて正月過ごし」と漬物をいっぱいくれた。それから塩屋に帰る。時間に押されてたから朝ご飯は京都南インター前のマクドでベーコンレタスバーガーセットドライブスルーやったから夕方には死にそうにお腹が空いていたが、元ANAの今だにFカップオーバーの高身長な梅花女子卒が「寂しい1人の大晦日にこれでも食べとき」と炊き込みご飯と野菜5品入りの自然派弁当を渡してくれたので、帰宅してノンアルビールで大阪テレビの演歌見ながら「あのFカップのオッパイはどれくらい柔らかいんやろか。絶対触らへんからブラジャー姿だけでも見たいのに」と思いながらこの一年を振り返ってみたが、結局「コロナが終わり人の往来が以前に戻り、外人さんも来てくれ売り上げは伸びた」これに尽きる。と結局を出し、では来年の目標はと考えたが俺のよくわからん哲学で、飲食店の売り上げを伸ばすには「自分の舌を信じてやっていこう、結果は後からついてくる」なのでそれでは少し曖昧すぎるから数値目標でと思い1.5倍伸ばそうにした。これはなかなか難しいと思う。

大阪テレビの演歌も飽きてきた。

やはり、年の最後は銭湯やなな気分になり七条の大黒湯かいつもの宮川町の大黒湯か迷ったが宮川町の大黒湯にしチャリ飛ばして宮川町へ。着いたのは9時半あたり。さあ、今日はたっぷりいつもの銭湯を、京都の花街にあるレトロ銭湯を大晦日に浸かるという贅沢を楽しもう。大黒湯へ行くとまあまあ人がおった。女将さんは「今日は旅行者や」2時間銭湯に浸かり20円の昭和マッサージ機で何度もモミモミした。

銭湯を上がり大黒湯を出ると激しい雨だった。

俺には関係ないが、初詣の神社は売り上げ下がるなぁと思いながらチャリをこぎながら川端下り正面橋渡ったあたりで暗い東山から除夜の鐘が一発低いゴーンが聞こえた。

新しい年になった。