2021年12月24日金曜日

空模様が悪くなる前に

昨夜、なぜか急に神戸に帰りたくなった。家のベランダから見える海が見たくなった。そして電車に乗って、神戸まで90分くらいの短い乗車時間だから旅とまでは言わないが、電車に揺られボーッとしたかった。阪急河原町に最終が11時発、これを逃せばあきらめると。ダッシュで後片付けをしギリギリ阪急に飛び乗った。そのまま阪急で梅田まで行き神戸線に乗り換え三宮でJRで塩屋まで帰ろうと。ところが烏丸に着いた瞬間、地下鉄に乗りかえJR京都駅に行き一気に乗り換えなしに塩屋まで帰る方法もあると考えつく。阪急やと梅田から三宮まで時間がかかるし少しだるい。それなら京都駅から座ったままダイレクトに塩屋までの方がいいと決断し烏丸で飛び降りJRで。構内のコンビニで酒を買い小さな旅気分だ。いいぞ、いいぞ。
 
塩屋に着き駅前の立ち飲み屋で一杯飲む。地元のツレもいて、なにを話したか一切覚えてないが、久しぶりに地元に帰り、そのタイミングで出会ったツレと乾杯する。いい時間やなぁと。まあ、いろいろあるが幸せよ。
 
1枚目 先日、まさかの歌舞伎役者がお店に来てくれた。祇園と宮川町の芸妓さんとご一緒に。仕事が終わり自転車で四条大橋を渡り大黒湯へ行く時に南座が見える。あー、いつかこの四条大橋を渡り歌舞伎役者が俺のお店に来てくれへんやろかと思っていたがホンマに来てくれた。中村鴈治郎さん。扇千景さんの息子さん。それが偶然にも宮川町の芸妓さんが昔、神戸時代に母のご縁で俺のお店に来たことがあり話が盛り上がった。お母さん、見て欲しかった。
 
2枚目 夏になると毎年咲く桔梗が秋になると全てがなくなり球根だけになる。その何もない鉢に小さな雑誌と苔が息づく。それを眺めているだけで心が安らぐ。
 
3枚目 昨夜、塩屋の立ち飲み屋で会った地元のツレ。髪型とかマフラーの結び方とかお洒落満載なヤツ。かたや俺はユニクロのスエット。
 
4枚目 住んでる時は、この景色は日常やったからなにも思わなかった。が、京都に住み、たまに帰ると本当に素敵な景色やなと今さらながら思う。冬の海は静か。起きて風呂に入りアイロンがけをして時間がないからすぐに家を出る。
 
5枚目 地元の肉屋さん。ここの焼豚は美味い。一本買い、今夜はクリスマスやから焼豚を特別メニューにしよう。売れ残ったら、まかないのラーメンに。

2021年12月10日金曜日

路地奥にある焼き鳥屋

先日の休日は神戸にスノーボードの板と京都に持ってきたけど読まない本をつんで月曜日の夜レンタカーして帰り昼すぎには神戸を出発し、京都に帰る。車があるから神戸の塩屋の家の近くにあるホームセンターと「めぐみの郷」という地元の野菜を売ってるマーケットで買い物。その前によく行ってたスーパー銭湯「月の湯船」に1時間。5時前に京都に着き6時から京都駅南にある焼き鳥屋「せせり」で1人晩酌。少しツライ事があり、足取りも重たくなかなか1人晩酌を楽しむ気持ちにスイッチが入らなかった。しかし、こんな時はこう気持ちを切り替えていけば大丈夫だと今までの経験から生み出した言葉があるのだ。
 
「まだお前は幸せ」
「ここは1発全てを忘れ、好きなお店でええ酒飲む」
 
で、ホンマに焼き鳥屋さんでたらふくお酒をいただき、全てを自分の未来への大切な教訓を学べたと思えてきた。悩んでも仕方ない。
 
1枚目 ホームセンターのコーナンでとある台を作る。とある台とはお店の作業台がやや低い。それのかさあげ。腰への負担の軽減。
 
2枚目 塩屋のスーパー銭湯「月の湯船」ここの露天風呂の名前から息子の名前の一文字を考えた。電気風呂もジェットバスもないが露天風呂は白濁湯のガチ温泉。大好きだ。
 
3枚目 京都駅南にある焼き鳥屋さん「吉田山せせり」とにかく全て美味い。京都に来て初めて出来た馴染みの店となる。ご主人さんとは銭湯仲間だ。
 
4枚目 じっくり見て欲しい。山椒を振りたくなる。
 
5枚目 昨日、洗濯機を回し洗濯機がピーピーと出来ましたと言うから蓋を開けたらポケットに入れてたメモ用紙も一緒に回してたというアルアル話し。
 
男一人暮らしのつらさが身に染みる瞬間だった。

2021年12月7日火曜日

嵐山まで行かなくとも

紅葉が美しいと今更ながら思うようになった。
 
京都に来て、紅葉の話題をよく聞くようになった。嵐山とか南禅寺、東福寺、御所の紅葉が綺麗だとお客さんから聞く。先日、出町柳までリハビリしに行く整形外科でトレーニングしながら、そのリハビリ室の窓から見える北山か東山かわからんが少し離れた山に薄っすら紅色と銀杏色の、いやこれからさらに赤くなるような秋らしい景色を見て、なんだか秋はいいなぁと。そう思えば鴨川沿いの木々や高瀬川にも紅葉がそこにある。そこらじゅうの葉っぱが紅葉やなと。
 
お店は、忙しかったりサッパリやったりよくわからない。最近、ブログを読んでいますと以外なお客さんから言われ本当に嬉しい。少しでも毎日書きたいと思うが、こうやってゆっくり書くのも大切な時間だ。特に今日のような雨の休日の喫茶店で書くそのひと時。日々の暮らしに全てを忘れられる時間は大切だと思う。
 
お金は全く貯まることなく支払いに追われてマジブルーのオッサンの秋の暮らしフォトグラフィーを5枚紹介しよう。
 
1枚目 塩屋に帰る須磨からの車窓の1枚。冬の空丸出し。海が冷たい。幼稚園の頃、この太陽の光の下に神様がいると信じていた時代があった。
  
2枚目 神戸に帰らなあかん用事があったからお店が終わり河原町から三宮まで阪急。それからJRで塩屋に帰る途中の大雨の夜、神戸駅で下車し大好きなBAR「一宮」に行く。大雨の夜、一人で傘をさし駅からBARに行く俺。かっこいい。
 
3枚目 四条烏丸にある東急ハンズにぶらりと立ち寄る。キッチンコーナーで無水鍋を見た。これでご飯を炊きたい。梅宮辰夫な俺。いつか買いたいのが今の俺の夢。
 
4枚目 とある休日、電車に2時間ほど乗り下車した駅でレンタカーを借り遠くの岬まで海を見に行く。そこまではカッコ良かった。渋く黄昏ていたその後、背後から停車した車の中から出てきた福田和子みたいなオバハンにつかまり、遠くに見える灯台のストーリーを聞く。だんだんそのオバハンが福田和子に見えてきた。それも旅の思い出。
 
5枚目 秋の高瀬川。高瀬川という川の名前は東の神田川に対抗出来ると思う。もし、何かの違いで高瀬川が「淀川」なら。うーん、なにか違うぞ。
 
余談だけど、50回に1回の確率でコンビニのレジにとてつもない美魔女がいる。そんな美人に出会えた俺がついていると、思う。

2021年11月24日水曜日

冬の訪れ

季節はこの2日前の夕方から急に冬のそれに様変わりした。一昨日の昼間の気温は高く狭い店舗は蒸し暑く少しクーラーを入れたくらいだったのに夜になるとそのクーラーの冷気が寒くなってきた。街の灯りに照らされた鴨川も冷たい銀色と人気の少ない四条大橋が寒く冬の訪れが身に染みる。だが火曜日の祝日のせいか有給を取れば4連休の京都にはコロナの感染者の明らかな減少のせいだろう、四条河原町や嵐山あたりには凄い数の観光客が来ていたらしい。その余波のおかげだろう。僕のお店もほぼ見知らぬお客さんが来てくれ売り上げも上々。ヨシヨシだ。と思えば昨夜の連休最終日は火曜日は定休日だが今日は来ると確信し仕込みも多めに仕上げ、開店時間を早めにしガッホリ稼ごうとしたが結局来てくれたのは数名のみ。まだまだ実力不足。美味い餃子を作り続けるのみ。お商売はお客さんの口コミが1番。それを信じる。
 
1枚目 ホームセンターのコーナンで買った900円のブルーベリーがまさかの紅葉となった。嵐山に行かなくても、紅葉はこの一本で大満足。
 
2枚目 寒くなるとさらに銭湯の温もりを異常に求める。夏は暑いから水風呂で身体をマックス冷やして風呂上がりにするが、先日から熱い湯船でホカホカにして上がるようになってきた。気温が下がってきたのだ。湯船にガッツリ浸かりのぼせそうになったとしても帰りのチャリで夜風にあたり帰宅すると身体は寒くなり、結局ストーブに火を入れる。
 
3枚目 ちょうど1週間前、京都の部屋にある夏服とこれから必要となる冬服の入れ替えに塩屋に帰った。あの頃はまだ半袖でだった。京都の部屋は狭いクローゼットがあるだけ。寒い京都。コートやマフラーがいる。神戸を離れてこそわかる地元塩屋の海のある暮らし。
 
4枚目 昨夜はさっさと店じまい。帰宅した時間が早かったのか部屋のベランダからこんなにも幻想的な眺めに出会えるとは。清水寺から発する光線のバックに光る満月のような月とのランデブー。
 
5枚目 賄いの自分で作った餃子とハイボールに藤井大丸地下で購入したお造り。後片付け終わってからやから餃子は冷たいがそれでも美味い。
 
さあ、これ食うて宮川町抜けて大黒湯行こ。
 
京都に、来てよかった。

2021年11月9日火曜日

乾杯を積み重ねると

昔、矢沢永吉がインタビューでお酒の飲み方についてこう言っていた。
 
「僕のお酒の飲み方は、記憶がなくなるまで飲むんです」
 
なんかかっこいい。それからその記憶がなくなるまで飲むんですと。忘れられられないフレーズになってもたがな。それは矢沢永吉が言うからかっこいいんで、その酒に酔い酒に同化している永ちゃんやからしびれるが、こんなヘナチョコな古屋泰三が酔っていてもなんの絵にもならんわな。と、言うほどベロベロが3回もこの2週間にもしてもた。
 
一回目は、お店でお客さんから一杯どうぞから始まり先斗町のBARでブランデーの水割りを飲んで撃沈。
 
2回目は、長野の松本在住のGカップの元着物モデルと綾小路の居酒屋割烹「楽庵」で冷酒2杯で撃沈。その後、酔いにまかして祇園の街の宝「IKKOさん」のBARでビールや水割りでフラフラに。
 
3回目は、金曜日の夜に神戸から寺が遊びに来てお店で飲み、その後むかいのスナック「ぴよこの部屋」で郷ひろみのハリウッドスキャンダルを歌い、大黒湯で湯に浸かりさらに酔いが回り千鳥足で帰る。
 
なぜ、こんなに飲んでしまうかを考える。たぶん仕事に復帰して気持ちがある意味楽になりグラスを上げ下げしたか、理由はないが心がリラックスしているかだ。だが、こんな時こそ大事件がおきつならない時間を過ごす事になる。薄くでもいいから自己啓発ゾーンに入るべきだ。かなりハードルは高いが紳士を目指そう。
 
1枚目 今朝の高瀬川。落ち葉が高瀬川に光を当てている。美しい。その半面、誰が落ち葉を掃除するのか気になる。
 
2枚目 道端のコンクリートの隅っこにある苔を採取して鉢に並べて水をやり一枚の苔に仕上げる。ただ苔だけ。苔の魅力ってなんだろう。ただ見てるだけ。その時間が大好きだ。
 
3枚目 酔いすぎた楽庵のスタートの一枚。その後の冷酒が美味すぎた。
 
4枚目 お店の電光看板のデザインを思案。レトロに仕上げるぞ。薄皮という一句は絶対つかいたい。
 
5枚目 モノクロにしてみた。モノクロの被写体にはドラマがないとつまらない一枚になるがそれほど難しい。でも、まあいいっか。
 
 

2021年10月26日火曜日

55の10月

先日、55の誕生日を迎えた。
 
もう、この歳になると誕生日に対してなにも思わなくなったが心の中で「お母さん、僕を産んでくれてありがとう」と思う。そのお母さんに会いたい。今でも母を思うと本当に涙が出る。どうしても母に会いたい。生きてたら、母はスーパーややこしいが亡くなって何年も経つが今すぐ会いたい。京都の街を一緒に歩きたい。お母さん、頑張るからね。とにかく美味い餃子で有名になるからね。何か美味いかを分かる舌を教えてくれてありがとう。
 
1枚目 昨日、地元のツレと塩屋の家でBBQしよと集まった。入院中に友達になったH君も誘った。京都のバッキーさんの息子のロマンも呼んで。シャンパンのんで調子に乗ってもてオーパスも開けてもた。おかげて二日酔いの巻。
 
2枚目 こないだの日曜日の菊花賞。スポニチの予想にそのままのっかり単勝と馬連はとったが3連単の3着に鼻先で福永の馬が滑り込みあわや50万がフイになる。人気薄の阪神の福永は要注意だ。
 
3枚目 昨夜のお酒を抜きに垂水の太平の湯でゴッソリ岩盤浴で汗を出す。実は今日、塩屋から新大阪の回生病院に検診があり9時には新快速で新大阪まで行った。それからまた神戸に戻り太平の湯に行く。どうしても岩盤浴で頭を空っぽにしたい。疲れているようだ。明日も休んで、太平の湯で一日中いたいが…
 
4枚目 垂水駅にある立ち食い蕎麦屋の看板が大好きだ。こんな看板を作りたい。看板のデザインを考えよう。
 
5枚目 仕事が終わり、賄いの餃子とハイボール。こうやってカウンターに座り、お客さんの気分になり餃子を食べ味を確認する。とても大切。
 
最近、無人餃子の店舗が流行っているようだ。
 
全く興味がない。大切な事が見失われていくと思う。

2021年10月18日月曜日

ご縁との出会い

お店をしていると、たくさんの人に出会う。お客さんだけではなく取引先や同じ会館の仲間や飲食店の横の繋がりやらで、たくさんの人と言うより「友達」になる。しかしそのたくさんの友達も、確率でゆーたら何千万分の一。その何千万分の一の先に出会った友達。うまくは言えないが、なんか凄いなと。で、また50を過ぎると出会う人はいい人ばかりだ。カチンとくるヤツは会わなければいいだけの話しなのだ。
 
昨日は、入院してた病院で知り合った回生病院仲間とH君と退院祝いに乾杯する。入院中はH君が先に入院していて俺が先に退院したから彼が病院の先輩やった。オペが終わり三階のリハビリ病棟から四階に移動してからH君とは毎日約1ヶ月半毎日顔を合わせていた。俺は2カ月で退院と決まっていたから病院ではなるだけ病人仲間を作らないようにと決めていたから、看護師さんと理学療法士と以外はしゃべらず、読書と屋上から眺める雲だけの日々やったが、結局寂しさに負け友達を作った最初の人がH君。
 
H君は、神経系の病気で気が滅入るような戦い中でリハビリの後は必ず屋上に行き気分転換していた。俺も入院生活で唯一の楽しみが屋上やったから自然と言葉を交わし、お互い早く退院してシャバの空気を吸おうぜ!と励まし合い、夕食が終わると毎晩リハビリのベットで自主トレをしてた。
 
俺が先に退院したが(7月末)H君は、俺の素人目から見ても退院は秋くらいになるやろとおもっていたが彼は「古屋さん、8月中頃には退院しますよ。もう後は自分で頑張ります」と言っていた。俺はH君の希望を損ねることはできないから「絶対、退院出来ますよ。見切り発車でもええから退院してください。そこからまたスタート切ったらええだけの話ですわ」と言って先に退院した。
 
その後、連絡は取っていたがある夜H君から電話あり、今お店の下にいますと言う。慌てて降りるとH君が松葉杖で立っていた。しかし彼は階段が無理なのでH君に俺は何もする事がなくその場で別れたが、せっかく彼の住む街の芦屋からわざわざ俺に会いに来たのに、その気持ちを思うと胸が痛くなり後日連絡し、三宮で乾杯しようと企画して先日、退院後久しぶりに再開し三宮高架下の居酒屋で飲んだ。
 
確かに2カ月の入院生活はしんどい。基本、常に患部は痛いし車椅子やし、楽しいのは看護師さんのパンツのお尻見ること以外なんにもない。ベットは狭いし枕も小さく温もりがない。いいことなんてなにもない。しかもコロナやから外との接触が遮断されているから気がおかしくなる。プラスになるのは当たり前やが病気が治るだけなのだ。それでも、俺は入院してよかった。それはH君と友達になれたから。
 
何千万分の一の確率で知り合えたご縁ってなんだろうか。
 
それは、彼との出会いだけではない。今、こうやって生きているのは今までの、いろんな出会いの先に、今、こうやって、ここにいる。
 
ならば、言えるのは、もっと何かを大切にしないと。そう思う。
 
結論。
 
入院してよかったよ。
 
1枚目

2021年10月12日火曜日

垂水の喫茶ブラジルにて

長かった夏休みも終わり10月1日から以前の生活、つまり京都四条河原町裏寺で餃子を焼いての毎日が始まった。
 
入院、緊急事態とで5ヶ月は働かない日々で久しぶりに現場に戻ったが3日も働けばそれが普通になる。藤井大丸の地下で仕入れ、ついでに賄いの刺身(マグロか鰹かカンパチ)を買い仕事が終われば餃子を焼いて刺身とハイボールでいい気分になり、宮川町の大黒湯という毎日が始まるというわけだ。長い間、シャッターを降ろしていたにもかかわらず予想していたよりお客さんが来てくれ予約も順調。なにより、お客さんから「美味しい」と言ってくれる一言が希望の源だ。まずは、味で勝負。洗い物が追いつかなくなりバイトを入れるほど忙しくなる。これが次のステージだ。
 
1枚目 宮川町大黒湯。ここが俺の銭湯。京都に引っ越したらいろんな銭湯の暖簾をくぐろうと思っていたが結局、七条鴨川に引っ越したら大黒湯にしか行かなくなったがそれでいい。それほど大好きだ。熱すぎる湯とサウナに20円のマッサージ機と女将さん。それにここの鏡広告に出させてもらっているからなおさらだ。仕事が終わり約1時間ここ。京都に引っ越して、大黒湯の毎日とは本当に幸せを感じる。
 
2枚目 今日、神戸に帰ったのは入院中にできた友達と飲みに行くため昨夜、阪急河原町から阪急で帰った。朝、ベランダに出ると見慣れた海の景色だが、やっぱり海はいいなぁ。最近、この景色を見ながら郷ひろみの「ハリウッドスキャンダル」を聴きながら熱唱する。なんかの本で読んだフレーズで、歌を歌う事は心の健康にいいらしい。
 
3枚目 喫茶ブラジルで今これを書いている。今や神戸に帰れば必ずここ。何時間でもおれる。
 
4枚目 夏の終わりに、マイ師匠であるバッキー井上さん夫妻とその仲間と神戸仲間で塩屋ハウスパーティーをした。塩屋の肉屋さんで高い牛肉とワインやスパークで飲み明かす。サウンドはほぼ昭和歌謡で踊り騒ぐ。
 
夏の終わりって
 
いいフレーズだなぁ。
 
5枚目 夏の終わりのもう一枚。そろそろ京都に帰り仕事が始まる前に塩屋に帰り、駅から漁港を通って帰ろうと漁港に行くと地元のツレが漁港でBBQをしていて、一緒に飲む。2週間前だがもう遠い過去。だけど今年の夏は思い出いっぱいの夏やった。自分の性格が少し変わったくらい、いい夏でした。

2021年9月20日月曜日

海のある暮らし

連休中に息子と遊ぶつもりが、ふられてしまい全く用事のない2日となった。カメラを持って漁港に行ったり浜でビール飲みながら文庫本読んだりタイガースがボロ負けして元気がなくなり安ワイン飲んで全てを忘れることにした。
 
それでも振り返れば、台風一過の爽やかな、もしまだ夏の終わりと言えるなら、誰もいない家の下の浜辺でバスタオルひいて、身体が熱くなれば海に入り少し泳いで身体を冷やす。部屋に帰れば冷えた白ワイン飲んでボサノバ流してただ夕日を眺めて漁港まで散歩する。こんな時間を過ごせる。お金はないが静かな贅沢に、時と時の間に生きてる満足感に今年の夏の思い出、最後の章となった。やっぱり夏って特別な季節なんだなと。
 
なんなんだろう。この感覚は。
 
そうだ。小学時代の夏休みのラスト10日の、寂しさと悲しみと、これから始まる重たい気持ちが交差するあの頃と全く同じなんだなと。
 
仕事スイッチまで、もう少しだ。
 
垂水の昭和喫茶にて。

2021年9月17日金曜日

カレー野朗

緊急宣言により、休業してる。おそらく今回が最後になると思う。もう感染者が増えようが休業要請はしないだろう。9末で終わり。その後は酒類は大丈夫で閉店9時となり年末には規制はなくなると思う。逆に言えば、こうやってのんきに休めるのも今のうち。仕事が始まれば神戸には帰れないから、なるだけ神戸に暮らすようにしている。家は広いし海は目の前やし駅前の魚屋や美味い肉屋もある。太平の湯というスーパー銭湯もある。ひきこもりには持ってこいだ。こないだなんか、魚屋で太刀魚の刺身と鱧の湯引きを買いアテで飲んでたら調子乗ってしまい冷凍庫で冷やしたウイスキーのストレートを何杯か飲み次の日は一滴も飲めなかった。ところが一日お酒抜くと次の日は安心して飲める。そんな繰り返し。
 
1枚目 塩屋の一駅西の垂水に毎日のように行っている。塩屋駅前にあったコンビニが閉店し新聞すら買えない街となったので垂水まで新聞を読みに喫茶店に行く日々。昭和喫茶ブラジルへ。
 
2枚目 塩屋にある唯一の肉屋さん。自家製焼豚がたまらん美味い。
 
3枚目 僕の場合、カレーの野菜はニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、ニンニクどっさりでお肉はカレー用の牛肉にスジ肉を10分ボイルして細かくきざみ煮込み最後にじゃがいもを入れる。じゃがいもはスプーンでじゃがいもの塊を食べたいから。隠し味は醤油とドロソースと焼肉のタレとビールを入れる。
 
4枚目 こんな感じ。
 
5枚目 その昭和喫茶ブラジルの道筋にこれまた昭和系の激安理髪店を見つけた。何度もその理髪店の前を通り過ぎて、ようやく決心して入ったら、いわゆる「関西のおばちゃん」がサクサクっとバリカンしてくれた。神戸に帰ったら西明石のヤング理容と決まっているが浮気してもた。
 
もう、垂水と塩屋のみの生活。それに満足している。
 

2021年9月4日土曜日

9月の雨

9月に入り雨や雲で暑かった夏のそれはもう終わり季節が変わっていく。いや、今年の夏はそんなに暑くはなかった気がする。
 
若い頃の季節感は「暑い」か「寒い」「晴れ」や雨など、ザックリと感じなかったが50も越すと日々の移ろいを探すのが日常になってきた。感じるのはその日の風や湿度や夕方の日差しでそう感じるようになってきた。もちろんこれからの残暑は強烈なのはわかってはいるが、日の沈みは確実に早くなってきている。
 
退院してから、一日が終わりベッドに入って寝ようとしても膝の痛みがうずき睡眠薬を飲まないと寝れないが、どうやらそれがなくなりつつある。まだ時折ズキズキくるがあの頃に比べたらだいぶんましに。よしよしだ。(まだ睡眠薬とロキソニンは手放せないが)だから、もうそろそろ仕事を始めたい。しかし、正直言うと、仕事を始めるタイミングがわからない。緊急宣言もあるし、お店を開けてお客さんが来てくれるかやからない。もちろん酒類は出さないが、果たしてお茶と餃子って大丈夫かと不安が先に立つ。ただ、自分で言うのもなんだが、自分の餃子を早く食べたい。餃子とビールと漬物のコンビネーションで23年間作り上げた自分の餃子の味を確認したい。完璧の餃子を焼きたい。
 
1枚目 退院したての神戸べったりの生活から少しずつ京都にシフトを変え始めだしている。裏寺のお店に行き換気扇を回し空気を入れ替え掃除し、会館の階段の雑巾掛けし錦市場の漬物屋に行ったり藤井大丸や京都信用金庫本店にあるスタバで時間潰したり祇園四条から京阪で家がある七条京阪まで通ったり、大黒湯やらこれからお世話になる出町柳の整形外科に行ったりと、また京都の暮らしがボチボチとはじまり出した。
 
2枚目 それでも、仕事が始まれば滅多に神戸には帰れないから、今しかないのでなるだけ塩屋には帰るようにしている。塩屋に帰れば垂水の喫茶店「ブラジル」で読書したりブログ書いたりする時間を大切にしている。この日は初めてランチをいただく。喫茶店は本来なら珈琲なんだが昭和喫茶のランチは異常にワクワクする。初めてなので一番人気のブラジル定食を。俺は洋食の定食のご飯に塩を振る。サンドイッチに上からサラサラっと塩を振るのもイケる。
 
3枚目 神戸に帰ったら行かなアカンと決めていたので雨の中、阪急春日野道から徒歩10分にある大安亭市場の山倉精肉店に行く。その前にスーパー久しぶりに春日野道駅下のお好み焼き「ひかり」でスジ焼きを。高校時代に付き合ってた彼女やパチンコで勝利したら行ってたお好み焼き屋。水分が多めの柔らかいお好み焼き。相変わらずクーラーキツイ。
 
4枚目 山倉精肉店は小学生時代の同級生のひろちゃんの精肉店で開業当初からの取引先で今でもミンチをここから冷凍で京都まで宅急便だ。ひろちゃんは、昔の神戸の人間ならご存知「八代高校」出身。今で言う神戸国際。あの頃の八代ゆーたら、もう…
 
5枚目 大黒湯の脱衣所においてる新聞は毎日の夕刊。先日、それをペラペラ読んでいたら郷ひろみの記事が。なぜか2021年夏のテーマソングの一曲が、郷ひろみの「ハリウッドスキャンダル」やった。生きるとは努力すること。俺、頑張る。
 
作詞 阿木燿子
作曲 都倉俊一
 
俺 爪の先まで びっしりびっしり
惚れていたのさ
 
愛して別れる繰り返し
涙のミラーボール
 
君 髪の芯まで びっしりびっしり
女だったよ
 
昭和の歌は美しい。喫茶ブラジルで郷ひろみを聞いて共感できる、胸の大きなモデル級な美女と、チラチラそのはち切れそうな、隠しきれないオッパイをさりげなくチラ見しながら甘いホットコーヒーを飲みたい。