2020年11月19日木曜日

その後

退院して10日ほど過ぎた。
 
ようやく元の体調に戻ったが売り上げがもう一つ元気がない。第3波の規模がどうやら本格的な気がする、というよりこれは間違いなくさらに増えていくだろう。減少するきっかけなんかない。本当にどうなるんだろうか。マスクのいらないあの頃にはいつ戻るのだろう。よくインフルエンザと比較するが、俺的にはそれは全く別物やと思う。インフルエンザになるのとコロナになったでは、やはりイメージが違う。コロナにかかり完治したらとりあえず抗体はつき一番安全なはずだが、やはりアフターコロナではコロナ差別があるやろう。一日も早く注射一発でコロナから身を守るワクチンが出来て欲しい。
 
このところ仕事は早めに切り上げている。というより9時すぎからのお客さんが全くなのだ。早めに儲けて11時半にはシャッターを下ろして宮川町の大黒湯にほぼ毎晩行っている。熱すぎる風呂、130度を超えるサウナ、キツすぎる電気風呂、冷た過ぎない水風呂、そして昭和遺産の内装がたまらない。四条大橋から川端に入り途中から1本東の路地に入ると宮川町の花街から大黒湯への道中が、それはもう美しく時には舞妓さんや芸妓さんを見かける時がある。今、俺が京都で生きてる生活圏内にこの道がある事実に心の底から満足している。そして家の前にある梅湯の前の高瀬川の紅葉に癒される。
 
今は、美味しい餃子を作り、仕事が終わり銭湯にいき、帰宅して本でも読み寝て起きて洗濯してアイロンして、出勤する。
 
あとは街中で見かけるオッパイや尻や、今はマスクで美女かどうかわからないが、不思議とたいがい可愛く見える。
 
太めの女が大好きなんだ。

2020年11月8日日曜日

第二章

10日ぶりに働いた。
 
バイトはなしで1人でこなす。10日も休み
告知もせずに。まあ、忙しくなるかサッパリかはやってみないとわからないのだ。結局、数組ほどお断りするくらい忙しかった。ただ鉄板の調子が悪かったから餃子を焼いてて楽しくはなかった。油がなじんでないからかな。
 
いろいろあるが、働いてナンボ。それと、京都ナンバーワン餃子のつもりで餃子を作り焼く。勝たないといけないのだ。ならば、もっと意識を高めないと。
 
これからは以前とは違うスタイルにしないといけない。神様はこの経験からなにかを見つけないといけないと提案してくれているのだ。それに気づかないと。構想はある程度固まった。ゆっくり実行していこう。
 
仕事が終わり、大黒湯に行く。
 
京都、宮川町、昭和な銭湯。
 
これが俺の家の風呂と思うと、本当に幸せだなと心の底からそう思う。
 
神に感謝

2020年11月6日金曜日

退院

結局10日ほど入院やった。
 
今は京都駅前のヨドバシカメラの1Fのサーティワンでこれを書いている。久しぶりに街中に出た。それだけで幸せを感じる。ヨドバシのユニクロに行きセーターを買ったが接客してくれたロシア系の金髪の女性のお尻がプリプリすぎて、たまらない。なぜあなたはそんなに日本語が上手いんだ?そのプリプリお尻の中身はどうなっているんだ。見せて欲しい。
 
しかし、まさか自分がコロナになるとわな。
 
神戸を離れ京都に移転して絶好調な滑り出しと思った矢先にコロナやろ。すごい俺らしいなと思う。普通、ならんわな。コロナに。
 
思い返せば、怪我と病気のオンパレードの人生やった。大きな怪我では交通事故で頭蓋骨粉砕骨折、脳内出血半身不随を二回。三年前の12月に膝の皿3分割骨折。去年の冬に肋骨骨折。33の時に結核。で、コロナ。
 
なるべくしてなるか。こんな怪我や病気ばっかり繰り返してるから、こんな優しい男になってもたか。
 
まあ、それが星の下。それでも生きていく。
 
どうせならゆっくりしたいが、そうも言ってられない。日曜日から餃子焼くよ。まあ、ゆっくり無理せんと。しょうみ金もいる。それでも今は自分のペースでやっていく。
 
そう。自分のストレスたまらないやり方で進めていこうと決めた。コロナから学んだというか、少しゆっくりしてたくさん考える時間を与えてくれてありがとう。経験を無駄にしてはいけない。一つでもプラスに変えなければ。
 
年末にコロナにならなくてよかったよ。コロナの免疫はついたがそれも半年くらいらしい。まだまだ医学のほうもコロナについてわからないと。アビガン投与したが、それもどこまで効果か未知やと。医師のニュアンスではコロナ菌はなくならないと。インフルと同じレベルに落ち着くと。どこで感染するかわからない。後は神のみぞ知る。
 
正直、まあまあブルーで後ろ向きだが、これも時間が解決するよ。
 
また、ブログ書きます!