2021年7月28日水曜日

最終日

6月8日に入院して7月29日に退院。約2ヶ月。振り返ってみればオペ後の激痛や、ほぼ隔離された日々に嫌気がさし全てがネガティヴな時期もあったり、入院患者さんとの交流で同じ病気の励まし合いから少し元気をもらったりして結論からしたら、入院は楽しくはないがいい時間を過ごさせてもらった。54でなにがわかるねんやが、おのれの人生の歩く道やらその足跡を考える事がよくあった。朝から晩までリハビリ以外は暇やから、そんな事を考えた。
 
毎日屋上に行き、流れる雲をこれほど見たことはない。最初は無意識に雲を見ていたが、ある時期から雲に話しかけては雲から答えをもらったり、いや、雲から話しかけられたり、ある時は気がつけば曇り空になると空一面が雲になり雲の存在が雲だらけで雲が雲でなくなる。また、たまにだが快晴すぎて雲ひとつない青空になると今すぐにでも雲が見たくなったりするくらい、ロマンチックに言うならば入院中は雲が恋人のようだった。いや、雲を恋人と例えると俺は男やから雲は女にあたるが雲は女の子とは違う。うまくは言えないが雲を見ると本当に安心するようになった。
 
当たり前やが6月に入院した頃の雲と退院する今の雲とは変化があって、7月末の雲は元気いっぱいでモクモクと膨らんでいく。
 
3時を過ぎると伊丹空港から飛び立つ飛行機が、その青空に真っ白に広がっていくバカでかい雲の中に突っ込んでいく。そしてその飛行機が雲の中に消える。そうなると消えた飛行機が早く脱出してくれと願い眺めていると案の定、雲に消えた直線上にまた現れる。そして飛行機はだんだん小さくなり空の彼方に消えていく。
 
夕方になると、だんだんと雲は薄れていき夕日の放射線の関係かよくわからないが、1日の喧騒が落ち着き、その色褪せた空に元気をなくした雲がオレンジ色になり最後の輝きを見せるなんとも言えない雲が好きだった。夕日は西に落ちるから、その西はここは西宮やから我が街神戸の方角に夕焼けが広がるとどうしてもメランコリーになる。そんなに寂しい人生やないのに。
 
そんな入院生活やったけど、一番元気をもらったのは清原やった。僕は清原が大好きで清原のTwitterとYouTubeを毎日チェックしてる。入院した頃、清原は極度の鬱になりどん底やったが清原の親友の格闘家の秋山に気合いを入れてもらい鬱から脱出しその後、7月10日、甲子園の阪神対巨人の解説して、またその解説が最高に良かって試合後、サプライズで昔の恩師の原監督から清原に向かい手を振るシーンがあった。その時の出来事を清原はこう書いていた。
 
「99辛い事も辛抱して頑張れば1のいい事が」
 
僕は昔から不器用で、苦がつきもので、あまりうまくはいかなく、遠回りで要領がイマイチで54歳でこれといった結果を残せてない。正直、他人の人生が羨ましく思う時なんかざらにある。マイナスを言うとマイナスになる言葉なんか心に響かない。だからこそ、清原みたいに泥の中から這い上がる男に惹かれる。
 
今回の入院生活で得た事ある。
 
この入院したタイミングをじっくり考えた。雲を見ながらじっくりじっくり考えた。
 
神が与えてくれた時間を見逃してはアカンでな。
 
で、退院して3週間ほど安静にせなあかんとドクターに言われてるんでしたい事がある1つが平日に園田競馬に行ってレース見ながらビールと串カツ食べたい。今しか出来へん。
 
入院してよかった。
 
 
 
 

2021年7月26日月曜日

あと3日

今夜寝て、明日起きたら数えるはあと3日で退院。もう少しで病棟から出れる。毎日、何度も屋上に上がって眺めていたこの景色も、夕方になると西日で照らされ少し切なくなるこの廊下ともサヨナラだ。
 
術後のヒザの痛みも落ち着き、よくよく考えると歩くのも困難なほどの激痛だった左膝も全く痛くなくなった事に今日気づいた。そうだったんや、この痛みを取るためにここに来て手術したんやと。そんな事すら忘れるほどリハビリに専念していたのだ。完全にヒザの痛みがなくなった。
 
とりあえず
 
とりあえずはだ。
 
ビールが飲みたい。

2021年7月24日土曜日

7.29

予定より1日退院が早くなり7.29に決まり、退院後のリハビリの日程やら検査日の手続き、退院後、家で出来るリハビリの仕方教えてもらった。全てが退院モードに突入してる。退院まで片手で指折りが出来る日数に喜ぶ。
 
昨夜は看護師さんに「消灯して12時から寝れなく3時にトイレ5時にトイレとホンマにしんどいので、もう1発キツメの睡眠薬いけませんやろか」と、お願いしたら処方してくれた。
 
そうしたら博多弁の若い看護師さんが「これ、寝る前に」と一錠いただいた。もう、このキツメの一錠で朝までノンストップで寝れると思うと心臓がバクバクしたわ。11時にベットに入り枕元の電気も消しYouTubeで「波の音」を選び薬を飲む。
 
暗闇からたとえYouTubeであろうが涙の音は睡魔を引き寄せる。目が覚めたら窓は少し明るくなっていて朝がやってきた。感動した。もう何年ぶりのノンストップ睡眠やねん。年をとると膀胱が弱くなるのか必ず寝てから起きるまで一度はトイレに行く。 
 
実は、今、悩んでいるのが今夜も看護師さんに「睡眠薬ください」と、言っていいのだろうか。退院まで毎日睡眠薬欲しいと言っていいのだろうか。
 
昨夜、食後リハビリの自主トレしていると入院仲間の兄さんが「今夜はお月さんがめっちゃキレイですよ」と言うから屋上に見に行く。満月に照らされた浜に若い男女が花火をして青春の声が響き渡る。いいなぁ。
 
退院までもう少し。
早く帰りたい。

2021年7月19日月曜日

いつまでも

再来週の金曜日に退院やから、あと12日。単調な入院生活に「退院」という目標がしっかり見えてきたから逆に日々のハリがなくなったようだ。 
 
オペ後はヒザの回復のためならと、どんな苦しいリハビリにもチャレンジし、リハビリ終われば空いたベッドで自主トレして理学療法士から与えられた課題もしっかりこなしていたが、ヒザの患部の痛みもほぼなくなり車椅子は撤去され松葉杖で移動してる。今日、昼ごはん食べてる時にふとこう思った。
 
この病院食の昼ごはんもあと12回でサヨナラやなと。これは晩ご飯の時にもカウントした。あと12回やと。もちろん、晩ご飯後の自主トレは休まず最低でも30分はしてる。内容はストレッチとヒザのセッティングと腕立て伏せ80回。100はしんどい。自主トレが終わると松葉杖で病棟の4階の廊下のぐるりを5周まわり、それから病室に戻るのが8時くらい。その後、する事がない。今日は兵庫知事選の速報を見て、村上龍の本をパラパラ読んだ。
 
それからスマホを触ってたら、なぜか40年以上前、俺が小学生高学年の頃に一部のマセたガキの間に流行ったフレーズが出てきたのはなぜなんだ。村上龍の影響ちゃうかな。そのフレーズは…
 
ワイは淀川のエックス会社のボンボンや。
 
これを知ってるのは昭和の関西のアホなガキなら知ってるはずや。ではこのフレーズの説明は難しいがやってみよう。
 
ワイは英語のYで女性の体の真ん中のあのエリア。淀川は、成人の女性のバストから腰つきのライン。エックスはオヘソ。ボンボンは女性のFカップ級のオッパイ。
 
これを自由帳にアホみたいに一生懸命に何度も書いていた小学生やった。その、自分が描いた女体のデッサンに凄い興奮していた小学6年生やった。でそれ以来、スーパー久しぶりにそれを描いた。それくらいこの入院生活が暇なのだ。
 
描いてみてビックリした。まるでこれはシャガールやないか。
 
 

2021年7月16日金曜日

あと2週間

退院まであと2週間。再来週の金曜日に退院予定。振り返ってみれば2週間なんて一瞬やけど、2週間は長い。読書も飽きた。唯一の気晴らしの屋上から眺める景色も見飽きた。楽しい事など何一つない。
 
かと言って、愚痴は不満を並べてもよけいに暗い気持ちになるだけなのでやっぱり唯一、外の新鮮な空気を吸えるのは気持ちいい。社会の音が聞こえる屋上に行く。雲を眺める。風を感じる。マスクを外せる。今は働いていないから時間は見なくてもいい。
 
雲をじっと眺めていると、雲の形は全く変化はないが気がつけばさっきの雲はもう新しい形になっている。そして過ぎ去った雲を見る事はもうそこは過去でありさっきの雲を見る事は不可能だが、今、これから現れる雲は見る事は、この場を立ち去らない限り当然出来る。その事を深く考えてみた。日々の暮らしは昨日も今日も、なにも変化はないが1年前とは違った生活をしている。毎日、少しずつ、薄く変化しているのだ。現在過去未来。ぼんやりと訳がわからなくなってきた。ただ、過去はもう過去でしかなく、その代わり未来は見る事は出来る。
 
ここはでは哲学っぽくまあまあ俺も深い男やなと思ったが、現在過去未来と浮かんだ瞬間、渡辺真知子が出てきた。情け無い。
 
考えるのは退院して仕事するまでの時間をどう過ごそうかを考える事が楽しい。いろいろ考える自由がそこにある。
 
その、考えてる1つは、せっかく京都におるから神戸から京都に帰ってもすぐには働けない。足の筋肉をつけるために歩きなさいと医師に言われた。スマホで京都の散歩コースを探していると行ってみたいお寺を見つけた。
 
「妙心寺 退蔵院」
 
理由はただ単に読み方が同じタイゾウだけで。調べたらなかなかいい感じの禅寺でお庭も良さそう。ここはいっそのこと禅寺やから坐禅組んで、坊さんに背後から思いっきり木の棒で叩いてもらいたい。しかし座禅って何分間目をつぶるんやろか。まさか30分とかあるんかな。3分すら困難やと思う。その上、おそらく微動だにしてはいけない。その困難を乗り越える事に意味があるんやろ。
 
今の俺には出来そうなきがする。
 

2021年7月11日日曜日

よかったよ清原

今日は、朝から甲子園で清原と片岡のジャイアンツ戦の解説があるので6時半からの野球中継が待ち遠しかった。
 
清原の解説は本当に良かった。子分の片岡も良かったし、まさか試合終了後、元木と宮本と原監督がバックネットに向かい帽子を取り清原に手を振るなんて感動した。清原本人はまだまだ何かと戦ってツライと思うが、幸せな男と思う。
 
対戦の結果はタイガースの惨敗で、結論から言えば僕はガチガチのタイガースファンやがはっきり言うわ。矢野監督、お疲れ様でした。今まで少し夢を見させてくれてありがとう。素人の俺から言うのもなんですが、選手を呼ぶときに、下の名前で呼ぶのはやめた方ががいいと思います。
 
絶対ないが、ジャイアンツが桑田でタイガースが清原でお互い監督として対決して欲しい。
 
清原!京都に来たら裏寺に来てくれ!

2021年7月9日金曜日

よかったよ

今日、オペ後、初めて松葉杖つきながらやが左足を地面につけて歩いた。主治医の先生から7月末には退院できるよと言われた。よしよし、今日、この時点で競馬で言う「向こう正面、やや中段あたり」
 
来週の金曜日に第3コーナー曲がり再来週の金曜日には第4コーナーに入り、それから7月末日まで直前一気にゴールという流れになるだろうが実際には退院まで何が起きるかわからない。とりあえずは慎重に進めていくしかない。
 
今日は、昨日ほどではないが昼過ぎから予報通りに雨が降った。この2、3日はすっきりしない天気らしいが週明けから梅雨も終わり暑い夏が始まるらしいが、病院はクーラーが常に効いて季節感は全く感じられない。それより退院してから過ごす1週間の幸せを想像する。その事ばかり考えてる。
 
入院中は、リハビリ以外は本当にすることがなく5階の談話室の窓から景色を眺めるだけしか楽しみはない。毎日同じ景色を眺めてる。だが病院の位置がイマイチ分からない。JRのさくら夙川駅から南に行き、その突き当たりに病院はあるのだが談話室の窓から見えるのは浜ではなく運河でもなく水辺がありその向こうには埋め立て地があり倉庫やビルやマンションが見える。大橋も見える。初めて見る景色。そこをずーっと眺めてるとだんだんこんな気持ちになってきた。
 
「お前はいったいどこにいる」
 
一年前に生まれ育った神戸を離れ京都に移転して七条鴨川の1Kに住み四条河原町の古い会館の2階の8席のカウンターだけのスナックほどの店舗で1人で餃子焼き、神戸にはたまにしか帰らないローンを払っている築50年のマンションがある。もちろん僕を知ってる人ならご存知、神戸では3回お店を移転して計4店舗で23年がすぎた。そのせいでカラッポだ。京都に移転したらしたでまさかのコロナ。挙句にこの年明けから左足が痛みだし、今、こうやって松葉杖つきながら病院の談話室でこれを書いている。
 
そんな時、ふと思う事があって、こうやって僕みたいに地元を離れて生きている人は山盛りいてて、転勤族のサラリーマンの方がそのまま転勤先で家を買い終の棲家にしてしまったり、プロ野球選手も大リーグに行きトレードで何度も球団を変えるなんてザラにある。イチロー、松井、ダルビッシュも。
 
だけど、飲食店で僕ほど移転する人はかなり稀やと思う。
 
あー
 
俺はいったい、なにをしているねん。
 
病院の屋上から、この景色を見ていると毎日そう思う。
 
振り向くな、そのまま行けよ
手を振るな、走っていけよ
そのほうがいい
そのほうがいい
 
そんな時、いつも頭の中でcharの
「逆光線」の歌が流れる。
 
 
 
 
 
 
 

 

2021年7月7日水曜日

蝉は鳴いてるか

このまま順調にいけば8月の初旬には退院予定やけど、4週間と思うと気が遠くなる。まだ歩行すらオペ後したことないのに、退院するその日の朝、病院から両手にカバンを持ち歩いてここから帰る姿が想像出来ない。
 
そして先生は、骨を移植しているのでその骨が固定するまで3か月はかかるから、退院しても左足に荷重は禁物やから8月末までは安静にと。そうなると9月からお店を再開となる。
 
あー
 
今から思えば仕事が終わり四条河原町の交差点から鴨川渡り銭湯に通ってたのが遠い昔に思える。宮川町の大黒湯で時を気にせずサウナやジェットバスやら激アツ湯船に浸かり頭をカラッポにしていた時間がまるで昔見た夢の世界だ。ぬるい病院食に9時消灯。当たり前だがベッドが狭く眠れない。毎夜睡眠薬だがそれでも寝るタイミングを逃せば薬の効果も消えてしまい逆に目が冴え、暗闇の病室で羊が一匹の呪文もバカらしい。
 
考えるのは退院してから、仕事に復帰するまでどう過ごそうかをいろいろ空想するのが1番の楽しみだ。太陽の光がカルシウムにいいと聞いている。家の下の浜辺で日光浴して、ピザでもつまみビール飲もう。平磯公園で蝉の合唱聞いて夏を感じるぞ。塩屋駅の居酒屋で一杯やりたい。
 
1枚目 毎日、病院の屋上のここに来て雲を眺める。方丈記の冒頭の一文が毎回頭に浮かぶ。常に時は流れ、全ては一瞬にして過去す、となる、か。
 
2枚目 もっこすのラーメンが食べたくて、とりあえず手っ取り早く売店でカップラーメンを購入し晩ご飯の汁気にと久しぶりにラーメン食べたがスープが異様に辛くて半分残した。病院食に慣れてしまったのだ。その瞬間、ラーメンの熱い熱は一気に急降下。
 
神戸時代に、お店の2軒南にある「焼肉 浦江亭」は仕事が終わりよく1人で行き、ホルモンミックスとビール2杯に行くのが大好きやった。これは、退院して絶対行くぞ!
 
毎日がヒマなので、こんな事ばかり脳裏に浮かぶのだ。
 
 
 

2021年7月2日金曜日

ヨシヨシ

さっき主治医の先生から来週の土曜日から左足に松葉杖はつきながらやけど30%ほど薄く荷重させていきましょうと勇気の出る言葉を頂いた。これはかなり大きな前進やぞ。その事を理学療法士の担当の和田君に伝え、そこから退院への道のりを聞いた。和田君いわく、荷重してから1週間単位で治療が進むと。荷重は30%~50%~70%~100%へと。もちろん松葉杖はついてが基本。それから階段の登り降りの練習。そしてフリー走行へ。そこまで4~6週間かかる。

こうなると、にわかに欲があふれだす。
 
居酒屋行きたい。ビール飲みたい。冷たい白ワインとお造りやブルーチーズにバケット。塩屋に帰ったら月の湯に行きたい。家の前の浜で竜と泳ぎたい。まだまだ退院は先やけど、遠く先に小さな灯りは確実に輝き始めた。
 
1枚目 屋上からの眺め。梅雨空。病院から一歩も出れないので今の俺は晴れようが雨になろうが関係ない。どんよりした曇り空よりむしろ土砂降りの雨のほうがメローでジャジーで大好きだ。シャーデーでも聴きながら。俺は基本貧乏性やから、とんでもなく晴れるとあせる。お客さんが来そうで。
 
2枚目 一日3回はスマホ将棋。将棋アプリは初心者やと設定しているので負けた事ない。駒の進め方は碁盤に印をつけてくれるのでありがたい。桂馬って敵陣に入っても成らないんやね。
 
3枚目 病院食。美味いも不味いも選択できないので、ありがたく頂く。当たり前だが味噌汁もまあまあぬるい。全てぬるい。だからこそ、熱々のもっこすラーメンが食べたい。
 
カタメンバラミの脂抜きだ。