2021年8月30日月曜日

京都に帰る

夏の思い出
 
僕が小学高学年の頃の夏の思い出って、もうはっきりとは思い出せない。きっと息子もいろんな思い出もこれからいろんな経験を重ねるうちに、その思い出が脳裏から消え去っていくのだろうが、夏休みの最後に塩屋の海で遊んであげたいと思い、友達誘って遊びに来いと言ったら1人の友達誘って塩屋に遊びに来る。僕は、その友達に、かっこいいパパを演出したいから彼らが海で遊んでいる間、ご飯を炊きおにぎり3種類、鮭とイクラと明太子おにぎりを作った。浜には地元のツレもいたからシャンパンぶら下げ浜で抜いていい夏の終わりとなった。夏の終わりは海の透明度がクリアになる。夏の盛りは濁っている事がよくあるが、もう海は秋。
 
夕方まで子供たちは海で遊んだ。日が落ちかけた頃、家に戻り竜と友達と僕と3人でお風呂に入った。忘れてしまうのは仕方ないが、頭の片隅に、この日の夏の思い出が薄くでも残ってくれたら嬉しい。ちなみに僕の小学生の頃の夏の思い出は、我が家は貧しい母子家庭にも関わらず母が毎年、京都の都ホテルに泊まりホテルのプールに連れて行ってくれた記憶がある。それと家からすぐにあった住吉川や鶴甲市民プールでアメリカンドッグをケチャップつけて食べるのが楽しみで唇を紫色になるまで遊んだ事が記憶にある。
 
子供たちは6時頃には帰り僕は後片付けをして京都に帰った。月曜日に出町柳の整形外科に行き、これから始まるリハビリの予約を取りに行かなければいけないから。10時過ぎには京都駅に着き帰宅して大黒湯へ。
 
今日、午前中に出町柳の整形外科に行き、それから3か月ぶりに錦市場の高倉屋(バッキーさんの漬物屋)に顔出したらバッキーさんもいててご挨拶出来た。それから店に行き掃除する。
 
こうやって、少しずつ京都モードに入っていこう。
 
京都で俺は生きている。それが嬉しい。
 
全てはバッキーさんに感謝なんだ。

2021年8月28日土曜日

2021夏

京都は感染者が100を行ったり来たりだったがこのところ500あたりになってきた。オペしたヒザは、退院後に比べたら順調に回復してきている。担当医の先生は退院してから1か月は働けませんよとアドバイスしてくれた通り傷跡の痛みはなかなか消えなかったがようやくこの3日ほど前からヒザが「しっかり」してきた。こうなれば9月入ったら餃子を焼きたいと思っているがどうしたものやろか。
 
四年ほど前の年の瀬12月の忙しい時に酔っ払って転けて膝の皿を割り、ギブスを左足首から膝上まで固めた数時間後には、お店で餃子を焼いていたほど休まず働いた貧乏性の俺が、もう3か月も休んでいる。いや、その前から蔓延か緊急かでお店は閉めているのでいつから休んでいるかわからない。来週からまずはお店の開店準備に入るとする。そろそろ餃子ゾーンにと無理から意識を切り替えて行こう。
 
1枚目 退院してから、まだまだ体調の復活には時間がある。しかも少し長かった入院生活のせいか、なにかに飢えていたので3本、ライブを聴きに行った。そのうちの1本は寺が退院祝いにと世良公則をプレゼントしてくれ、あとの2本はマイセレクトで八神純子と南佳孝さん。南佳孝さんのライブはゲストに太田裕美、宇崎竜童、杉山清貴、松本隆というスーパー豪華ラインナップ。世良公則は、優しい人柄が歌に伝わり、八神純子は熱唱するためにはと鍛えられた筋肉に「60過ぎてもまだまだやれるよ」と叱咤され、南佳孝さんからは「自分の世界を貫く」美学を教えられた。みんな本当にかっこいい。行ってよかった。太田裕美の木綿のハンカチーフを生で聞いてる途中から、俺、涙が止まらなかった。なぜだろう。
 
2枚目 某日、京都信用金庫に記帳しに京都に行き日帰りで塩屋に戻る。塩屋に着き、地元仲間のリキヤに電話したら浜で飲んでます。良かったら来てくださいと。その足で塩屋漁港に行く。漁港でコンロ出して肉焼いて缶ビール。あー俺には塩屋という地元がある。夏の夕方、漁港で飲む。幸せだなと。
 
3枚目 毎年、夏には川床に行く。ある頃から貴船は外国人だらけになり風情がなくなった感があるので数年前から高雄に行ったが今年は入院中から貴船と決めていた。それはさかのぼる5年ほど前に急に右膝が痛くなり始めた初期の夏に貴船に行きびっこ引きながら川床でランチした後、貴船神社にお参りし「膝の痛みが治りますように」とお祈りしたのが膝の痛みとの戦いの始まりだった。まさかこんな事になるとは。結局、5年間の治療がようやく終わったなと。なので今年は「ようやく膝との戦いは終わりましたよ」と報告の意を込めて貴船神社にお参りする。始まりと終わりが貴船神社。そうなると貴船神社は僕には少し特別な神社になったのだ。俺たち午年にちなんだ馬の神社でもあるし。京阪で出町柳まで行きワンマン電車の叡山電車に乗り換え貴船まで行く。京都っていいなぁ。
 
4枚目 御所西にある俺からしたら特別な日に行くようなイタリアンのシェフが塩屋に来てイタリアンブランチとワイン飲んでワイワイする。塩屋駅前の魚屋で新鮮な鱧とイワシを買いサクッと調理してくれた。京都に移転してまだ1年半しか過ごしてないのに、こんな仲間が出来て正直嬉しい。餃子屋のオッサンやのに真っ直ぐに相手してくれて感謝やわ。アテが美味すぎて飲み過ぎた。アテが美味いとワインも美味しいから酔いの加減がわからない。酔った勢いのせいかJRに乗り京都に帰り大黒湯に行く。
 
5枚目 明日は息子が塩屋浜で友達と遊びたいというから神戸に帰る。元町に用事があり元町駅で途中下車し駅南の焼肉屋アカツキのあこちゃんが店前でネコとひなたぼっこしてたので長話してから用事済ませて塩屋に帰る。来週からは、京都に帰り徐々に餃子モードに入る事にする。少し緊張感あり。頭の中を少しずつ整理して行こう。コロナ禍で全く先が見えないのはみんな同じやなと。今年の12月はどうなっているか予想すら出来ない。ただ、僕は長年患っていた膝の痛みから解放された。美味い餃子を作る。そこに集中してやっていこう。

2021年8月20日金曜日

竜と宮崎サーフィンの旅

退院して足はまだまだやけど、こんな時にしか竜と一緒に過ごせるチャンスはない。しかも夏休み。小学5年の夏休み。ならばと竜と男2人で旅行しようと。どうせなら、生涯記憶に残る旅にしたいと考えたらフェリーに一泊したいと思いつく。調べると神戸港から宮崎行きのフェリーがある。宮崎なら、俺が高校時代に1番過ごしたツレが餃子屋してる。ツレは育英高校、俺は滝川と他校やったが三ノ宮の喫茶店「やまもと」で知り合い通ってた高校が同じ須磨区やったから電車の方向が同じで毎朝時間合わせて通学していたツレの名はツカサ。ツカサは高校時代サァーファーでチャンピオンになるほどのサァーファーで男前で、一緒に学校サボってコーヒー飲んでた。毎朝、山陽電車で会えば「今日、学校どないする?」が合言葉で、ツカサはサァーフィン俺はディスコが命の青春時代やった。よし、そうなら竜にサァーフィン教えてほしいと。その旨をツカサに電話したら「任せてくれ」と。行きはフェリー、帰りは飛行機で。宿はツカサに任せて。
 
1枚目 宮崎行きのフェリー。そのデカさに興奮する。大浴場もあり酒の自販機もある。しかも選んだ部屋は個室2段ベットに。フェリーの2段ベットで1夜を過ごす経験を竜にさせたい。俺も初体験のフェリー。確実に俺の方が興奮していた。
 
2枚目 翌日朝、宮崎到着。天候は雨。結局、帰るまでずーっと雨の宮崎だった。宮崎港にツカサ迎えに来る。それから泊まる宿のロッジのチェックインまで時間あり、それまで海岸沿いをドライブ。それから宿がある青島地区へ。せっかくならと青島神社に行く。竜はイマイチっぽい感じみたいやったから、今から行く神社は心霊スポットやでと言うと一気にテンションハイに。と、言った俺が青島神社に驚く。南洋植物と雨のせいか、南国の夏の湿気と太古の時代に火山の地域のせいか足元から伝わるオーラが凄い。
 
3枚目 その夜はツカサがやってる餃子屋「よどがわ」に。もちろん俺の弟子。ツカサの餃子に対する気持ちに感動する。美味い。春のジャイアンツのキャンプ地、宮崎。いつか原監督と坂本が来て欲しい。
 
4枚目 竜、まさかの2本目で立てた。来てよかったと、心の底から思う。その後、何本かに1本乗れるように。その、なにかでミスして乗れなかったそれぞれの波1本の経験を乗り越えてそこから学び、再度波に立って欲しいと。人生もそれと一緒やぞと。失敗からしか学びはないねんぞと思った。そんなん、小学生にわかるかい。
 
5本目 竜がサァーフィンしてる間、ふと足元を見たら丸い綺麗な石があった。遠浅の浜だからほぼ黒い細かい火山の砂で石などほとんど砂浜で石などは落ちてないのだが、よく探すと転がっている。その石は手に取るとほとんど軽く柔らかい。それか硬い黒い溶岩のような重たい石。どの石も、きっとこの石は何百万年もの昔に火山により生まれ、それから波の衝撃でこの形に形成されたと思うと、その事実のドラマチックな石の歴史にやられてしまい、竜の滑りの合間にこれはと思った小石を探して宿に持って帰った6個。パワーストーンのオーラを初めて感じた。
 
ツカサとは、この前に会ったのがいつかわからん前ぶりに会ったが、ツカサに会えたのは竜のおかげやし、竜がサァーフィン出来たのはツカサのおかげ。
 
ツカサとたらふく飲んだ。肝臓ヒリヒリした二日間やった。
 
宮崎に、来てよかった!

2021年8月13日金曜日

垂水の三井住友銀行に絶対行かないといけない金曜日

今年の盆の天気は大荒れ。朝からきつい雨と暴風だが、絶対に垂水の三井住友銀行に行かないといけない用事があったからタクシーを呼ぶ。振り込みが終わり、今日も喫茶ブラジルへ。また来てしまった。コーヒーが美味い。大好きだぜ昭和喫茶。爪の先までレトロになりたい。

 
入院中に読んだ本5選 
 
2冊目 村上龍「ポップアートのある部屋」
 
30年くらい前からずっと本棚にあり、旅に行くときには必ず持っていく一冊。12話のショートストーリーでこの本とは30年も共に過ごしてきたのにそのストーリーの一つも覚えてない。もしかしてこのポップアートの表紙が好きなのかも。
 
僕はこの本の影響でアメリカンポップアートの画家であるリキテンシュタインを知った。もう無くしてしまったが、寝室にリキテンシュタインの大きな絵を飾っていた時期がある。この絵のクルマを飛ばしている男は運転中も惚れた女の横顔すら一瞬でも見たい。だからアクセルを踏んでる最中か、信号待ちのタイミングか分からないがチラッと女を見た。その見られてる女は振り向きもせずただ前を見るだけ。このスカした女は男に運転させながら別の男を想っているの図か。
 
それと、この本の1ページが絵葉書になっている。その絵葉書に村上龍が書いた一枚。一度でも、こんな絵葉書を書いてみたいなぁ。しかも海外で。文学っていいなぁ。アートっていいなぁ。
 
今回の入院も、この本を持って行き屋上で、談話室でこの何度も読んだショートストーリーを、また読み返した。1話で10分もあれば読み切れる。80'sのアメリカにタイムトリップ出来る。あの閉鎖された入院生活やからこそ、文字を読むだけで心が安らいだ。
 
村上龍は、僕の大好きな作家ベスト3に入る。

2021年8月12日木曜日

足が疲れる

入院中はほとんど歩くことがなかったから、どうしても足の筋肉が落ちている。退院してから少しでも体力をつけないと思いなるだけ歩くようにしているが、夕方に帰宅して晩御飯を食べるとすぐにベットに行き横になってしまう。足がだるくて重たくなり、なにをする気もなくなる。ベットに横になり身体の全てを無重力にして足を楽にしたくなる。ふくらはぎに鉛がぶら下がっている。松葉杖をついているせいか腰まで痛い。
 
昨夜、久しぶりに京都に帰った。きっと溜まっているであろうお店の郵便物を取りに行きたかったから。それに大黒湯にも浸かりたい。膝に金属を入れているからサウナは厳禁だが、とにかく大黒湯に行きたい。2ヶ月の入院で溜まった疲れをいやすのは大黒湯が1番なのだ。
 
1枚目 京都に帰る前に今回の主治医、中山先生がいる兵庫医大に行く。レントゲンと術後の経過を見る。いたって良好。
 
2枚目 JRで京都に着く。夜に京都駅に着くと京都タワーが輝いているシーンが大好きだ。ここから鴨川に向かって歩く。京都に住んで一年ちょい。それでも京都はまだ異国に思える。
 
3枚目 家に着き、急いで着替え大黒湯にチャリで行く。2ヶ月間、自転車をハイツに停めたままだったので盗難にあってる可能性も視野に入れていたが大丈夫だった。家から正面道に出て鴨川渡り東山に。それから東山五条上がり大黒湯へ。ところが大黒湯の看板が消えていた。まさか…と、思い玄関に行くとレトロなネオンが光っていたので安心したが大将にその事を聞くと大黒湯の看板の赤色が景観にそぐわないからと市から指導されたのこと。俺的に納得できない。帰る前に区役所に行き抗議しに行くと決意する。あの看板が消えていたら銭湯が閉まっていると思われるし、それ以前にあの看板は大黒湯のシンボルマークなのだ。ロゴが美しい。なにがいけないのかわからない。
 
4枚目 以前の大黒湯。この佇まいがたまらない。大切にしなければ。この灯りを。
 
5枚目 昼前に家を出て大黒湯の件で東山区役所に行く。その前に豊国神社の近くにあるうどん屋「まつ山」へ。きつねうどんと卵焼きをたのむ。驚いた事に、きつねうどんを注文したのに出てきたのは神戸で言う「きざみうどん」やった。では、いわゆる「きつねうどん」を京都ではなんというのか。
 
東山区役所に行き、大黒湯の看板について聞いてみたらどうやら役所と大黒湯の見解の相違の感がする。でも、そこはどうでもいい。とにかくあの看板に灯りを早く復活させたい。あまり出しゃばってはいけないのはわかっちゃいるが、次の手を打ちたい。
 
東山区役所からお店に行き郵便物のチェック。それから烏丸まで歩き地下鉄に乗り京都駅へ。新快速で神戸駅。それから普通に乗り換え塩屋まで。塩屋のミニコープに玉子と牛乳を買った。その玉子をカバンに入れようとした瞬間、玉子パックを床に落とした。見ると確実に2つは粉砕している。いつも思うのだが誤って玉子を落とし割れたら凄い損した気になるのはなぜなんだ。一個10円くらいなのに。帰宅して玉子パックをチェックしたら3個粉砕。
 
やりきれない気分になる。
 
罰として、今夜のおかずに玉子はなしにした。

2021年8月9日月曜日

塩屋日記 その4

台風9号は広島あたりを抜けるとの予想だったから神戸あたりは大した事にはならないと思っていたが昼前にはベランダから見える海は荒れており、おまけに満潮だったので狭いジャリ浜の塩屋浜も高波でそのジャリ浜も見えたり消えたりで激しく台風の影響をモロに受けていた。
 
一旦は台風も過ぎ去ったように見えたが、その後は一瞬静かになったがそれからは風のほうが強く、その風にあおられさらに波が強くなってきた。が、時は過ぎると先程の高潮もゆっくり下がって砂浜の幅が広がってきた。潮が引いてきたのだ。
 
雨が過ぎると午後から垂水の古い街喫茶店に行くと決めていたので、外の風はまだ少し荒れていたが雨は止んで傘の必要もない。鞄に喫茶店で過ごせるようにと、みうらじゅん著「清張地獄八景」の一冊と、いつ買ったか思い出せなく何年もテレビの横に飾っていただけの古いデジタルカメラとその解説書を入れ塩屋駅に向かった。
 
1枚目 台風の影響で荒れた塩屋浜。こうやって台風がきて、満潮に当たると浜に残された普段のゴミも狂った波で全て流されて明日の朝、ゴミ一つないきれいな砂浜になる。
 
2枚目 垂水の古い喫茶店「ブラジル」へ。スタバもドトールも大好きだが、昭和の時代をそのままに残す日本の大切な遺産である、いわゆる「昭和喫茶」がどうも落ち着く。僕のおばあちゃんは元町で「ウインナ」という喫茶店をしていた。
 
3枚目 今回のヒザの入院の2ヶ月はまあまあデカイ出来事に入る。生涯忘れることはない。童貞卒業、餃子屋開業、父になる、頭蓋骨骨折、大腿骨壊死。俺の中の人生ビッグイベント。その大きな出来事をある意味とても大切にしたい。その出来事をいつも思い出せるようにと入院中考えていた。じゃいつも身につけているものと言えば腕時計なんで、ホンマはロレックスのデイトナやけどそんなん買えるわけないのでセイコーのプロスペックを入院中暇やからスマホで物色してた。14万くらいするやつ。でも結局買ったのはヤフオクで1万八千円の80'Sのセイコーの中古。今の最新の洗礼されたデザインより、この無骨な柔らかみのあるレトロな輝きがいい。誰がはめていたのか分からないこの中古。これからは俺と道中するんだぞと。時刻の丸のアクセントが可愛い。
 
4枚目 いつ買ったかわからない自宅にあったデジカメ。オリンパスで、たしかPENのデジカメの初期の作やと思う。これも中古で確か9000円くらいやった。ボディのアルミ調にグッときて一万以下やったから。買って一回も使ってない。今はゆっくり時間はある。この際、説明書をじっくり読んで使い方を勉強しようと。今、振り返ればオリンパスのPENを選んで我ながらよかったなと思う。
 
5枚目 今回から入院中に読んだ本5選を紹介しようと思う。人の性格と選ぶ本の関係性を知りたい。本はその人の鏡なのか?
 
第1冊目 中年おじさん俳優、松重豊の「空洞のなかみ」
 
孤独のグルメの番組で知った松重豊。たまたま京都駅前の大垣書店で見つけなにげに購入。第1節の京都の太秦あたりが舞台の表現がいい。主人公は東京の俳優。京都で育った人じゃない京都の描写の文に共感する。夕立で濡れる太秦の路面が目に浮かぶ。実はその太秦に行ったことないのだが、うずまさ、とう地名が京都丸出しでいい。入院中、西宮の浜沿いの病院だったので、移住した京都の街が遠くに思う。後半のエッセイも、オマケ感があり飽きない一冊でした。
 
気に入った本は、御守りみたいに常に所持している派。

2021年8月7日土曜日

塩屋日記 その3

昨日はリハビリと吉矢先生の検診のため回生病院へ。治療の関係でおそらくこの日が吉矢先生の検診が最後になり次からは兵庫医大の中山先生にバトンタッチだ。吉矢先生にもう会えないとなると寂しい気持ちになるが、これだけは仕方ない。中山先生に出会えたのも運命なのだ。人生は縁と運に左右される事がほとんどだ。いつのまにか、そう思えば、それはそうなんだと。それが吉となると。運ってなんだろう。引き寄せるのか、与えられるものなのか。
 
リハビリは昼までには終わり、腹が空いた。昼ごはんは元町か三ノ宮と決めていたのでその候補は、神戸が誇る広東料理か鰻屋か、春日野道のお好み焼き「ひかり」か元町の大衆食堂「金時食堂」か「とんかつ太郎」か迷ったが、とんかつ太郎にした。熱々の白いご飯に塩を振りたかったあの味が一歩リードしたわけだ。とんかつ定食にコロッケひとつ追加。ヨシヨシ!いーぞ。ここの味噌汁は赤出しでしじみがたくさん入ってるんだ。山椒が一段と高級感を後押ししてくれる。
 
塩屋に帰り、浜で何もしない時間を過ごしたが急に雨が降り出した。雲が広がり部屋に戻りシャワーを浴びてふいに外を見ると綺麗な虹が見えた。そうだった。夕方の通り雨の後は虹が出るんだった。母に見せたいなと。
 
今日は、元町にあるワイン屋「ジェロボアム」の安藤さんに会いに行ってきた。安藤さんは僕にワインを教えてくれた人。たくさんのワインを安藤さんから教わったが、ワインの事はなんにもわからないままで、学んだのは安藤さんの真っ直ぐな男気だ。安藤セレクトの白ワイン2本買ったが実はワインより安藤さんに会いたかっただけよ。
 
 

2021年8月5日木曜日

塩屋日記 NO2

塩屋駅前の居酒屋も月末まで店じまい。食堂シロちゃんは定休日で外食できるお店が一軒もない。唯一、垂水駅のドトールの朝コーヒーなら外食を楽しめるから毎日寄せてもらってる。1日1度はお店に行きたい。どんなお店でもいい。お店のカウンターに座りたい。そこで本読んだりブログ書いたりする時間が大好きやねん。お店に流れる音。グラスの当たる音、接客する声、椅子を引く低音、何を話してるかわからない人の会話、働いてるスタッフを眺めるのも好きだ。俺の下品な接客を見直すチャンスとしている。
 
新型コロナの国の対応を満足している国民はいるのだろうか。昨日からのニュースを見ていると、軽症、中等症は自宅待機という。コロナ経験者の俺からはっきり言えるのは、俺は10日間38~39度が10日続いてある時からストンと36.5度に下がり3日後に退院した。僕は入院出来たからよかったものの、あの期間が自宅なんて考えられない。無理です。まずベットから立ち上がるのも困難な疲労感なのでもし一人暮らしなら料理を作るなんて100%無理やし、もしなんとか料理出来ても買い物なんかどうするのか。コロナで高熱出したままスーパーに行って買い物してレジに並ぶ行為、これ感染的に大丈夫か?洗濯物、栄養、コロナに対する不安感、これを一人暮らしで戦えるのは無理と思うね。入院中、ケアしてくれた看護師さんの完全な防御服の意味。それほど感染防止対策せなあかんのを1人で家におれやと。なら、コロナ病棟の完全防御服を軽装には出来るか?
 
今、この瞬間に日本のどこかでワンルームの狭い部屋でコロナでいつ下がるかわからない不安感に襲われている人はいるのだろうか。買い物も出来なく空腹で気が狂いそうな人はいるのか。金メダルで勇気と希望をもらえてコロナに勝つ事ってあるのだろうか?
 
異常な数の感染者の報道が流れ始めている。政治家は、死者がまだ少ないとか重症者は減っている、外国に比べたら少ないという。確かにそうかもしれないが、普通の国民は1000という数字を聞いただけでびびる。それ以前に政治家の軍団から聞こえる対策や態度が異常に見える俺は間違っているのか。
 
家いても、テレビは見ない派なんで暇やから絵を描いた。
 
それから、夏用の帽子がないので垂水駅前イオンの2階のエスカレーター前にワゴンの中に半額セールの帽子が山積みされてたので迷わず購入する。750円。
 
これを被り、あいつに会いに行く。
 
ボギーな俺。
 
 

2021年8月3日火曜日

地元 塩屋

退院して塩屋に帰る。やっぱり地元はいいなぁ。駅前の食堂も家庭料理居酒屋も、立ち飲み屋も心地いい。退院して絶対行こうと決めてた「食堂しろちゃん」で地元のツレのリキヤと乾杯し2ヶ月禁酒してた反動か浴びるようにビールを飲んだ。
 
次の日は、入院中に伸びた髪の毛をカットしに中学の同級生のヤッカンのいる西明石の理髪店「ヤング理容店」で仕上げてもらう。入院前にほぼ丸坊主にして2ヶ月ほたらかしのボサボサ頭をヤッカンがバリカンと熟練されたハサミのテクニックで完璧昭和丸出しの粋なオッサンに変身したら病み上がりのダサいパッとせーへん中年からスッキリした男に。さすがヤッカンやるやないか。
 
退院して数日が過ぎた。予想以上に体力が弱っているようだ。ヒザは痛いし、とにかく足がダルい。足の筋力が低下しているのは間違いないとみた。椅子に座れば腰が痛くなる。きっとお尻の筋肉が落ちてるからやと思う。まずは足の筋力つけないと。やりすぎるとヒザの負担になる。とすると歩くことが大切なのかも。基本しんどい。
 
唯一の楽しみは家の前の浜辺でダラダラ寝そべって本読んで。
 
とにかく体力をつけないと。