2019年12月17日火曜日

レイバン

おれはそんなにお洒落なセンスは持ち合わせてはいないし、着ている服の50%はユニクロやし、お店に行く服はジーンズにカッターシャツが定番やけど、あろうことかそのカッターシャツは薄い水色の同じ色4枚を着回しているだけなのだ。つまり毎日ほぼ同じ格好やと。しかし、こんな俺でも少しは小さなお洒落はしたいし好きや。
 
先日、中学時代のツレが3人来た。2人はその夜、クレイジーケンバンドの後来てくれて、後の1人はそのツレに電話で呼び出されたお店に飛んできた。
 
簡単にそのツレ3人をどんなやつかを解説すると、1人は小学4年までアメリカ暮らしで北野のアメリカンな家に住んでいて中学時代は軽めのパチキ(剃り込み)入れてて勉強ができて高校から東京に行って今は商業ビルや金持ちの別荘やらの建物の設計者。1人は、隣の中学の2番目に喧嘩が得意でロックンロールが大好きで男前で今は弁当屋していて糖尿病が始まったばかりで、もう1人はいわゆる親友クラスのツレでこいつと中学3年の頃、初めて王将に行って王将の餃子にどハマりしてしょっちゅう2人で王将に餃子と唐揚げと天津飯を食べに行ってた。まあゆーたらみんな少しワルなツレ。
 
その3人とお店でウダウダ昔話に華がさいて、おもろかった。
 
で、われわれもおっさんやから老眼の話になってみんな眼鏡しているんやけどよく見たらみんなレイバンの眼鏡していて驚いた事に揃いの眼鏡のフレームやった。そうなのだ。我々世代はレイバンがお洒落でジーンズはリーバイスの501で香水はタクティクスでヘインズのTシャツで矢沢永吉でシャネルズで大場久美子でゲーセンでピンボールに明け暮れていた昭和の7回表のアメリカが全てやった。イタカジのひとつ前のホテルカリフォルニアの夕暮れに憧れていた。
 
その「少しワル」が申し合わせたようにお揃いのレイバンのメガネをしていた。
 
普段から使用しているメガネはレイバンというお洒落に乗り遅れた俺は、さっき慌てて三宮の眼鏡市場に行きみんなとお揃いのレイバンを買った。
 
昭和なお洒落をこれからも大切にして生きていきたい。

2019年12月15日日曜日

117クーペ

117クーペ
 
俺が19の時、免許を取り母の友人の怪しい貿易商のおじさんが乗ってた中古の車をタダ同然で譲ってもらい、初めて手にした車が117クーペ。茶色でボロボロでエンジンオイルが漏れてて「あのおっさんにだまされた」とあまり愛着がなく最後はエンジンオイルの漏れを治すのに20万くらいするとなり手放した。こんなボロボロの茶色の車よりあの頃はどう考えてもトヨタのソアラがどうしても欲しかったのだ。もちろん手の届くわけなかったが。
  
117クーペはジウジアローというイタリアの工業デザイナー作で、ジウジアローはアルファロメオ、ロータスエスプリ、マセラティ、BMWと1970年代のヨーロッパ車のデザインを極めたデザイナー。そのジウジアローが唯一作った日本車が117クーペ。このフロントからテールまでゆっくり空気抵抗を受け入れるようなフォルムも美しいが一番は、どの角度から見ても伝わってくる「レトロ感」なんやねん、このかっこよさ。
 
以前、高校の時のツレと「いつか117クーペ買おう」と酔っ払いながら酒の上での約束を思い出し117クーペの中古車を検索したら、こんなにもクールな117クーペを見つけた。
 
マジで欲しい。
 
この車を見つけて以来、ずーっとスマホの写真のコーナーを開けては見つめている。今はどんなオッパイよりムチムチヒップより、この真っ白の117クーペ。スカイブルーのアクセントがセクシーすぎる。あの環境大臣のセクシーとは正反対のセクシー。
 
あー
 
どうしても欲しいが、絶対無理や。
 
この真っ白な117クーペに、真っ白のスーツ着て
 
矢沢永吉、ソニークラーク、パットメセニー、シャカタク、1950年代のドゥワップ、クールスをフルボリームでドライブしたい。
 
どないかならんか。
 

2019年12月11日水曜日

京都ミスター餃子

昨日の休日は京都の老舗有名餃子屋の「ミスター餃子」に行った。
 
餃子とキューリ漬。うちと一緒。場所はけして良くはないが週末になると行列が出来るとのこと。なんでロケーション悪いのに行列が出来るか知りたくて勉強しに行く。厚めの皮で野菜はキャベツやな。充分美味しい。夕方に立ち寄ったがお持ち帰りも次から次へと。京都高島屋にもおろしてる。凄いなぁ。羨ましいわ。勉強になった。大切よ。他の餃子屋に行くのは。
 
それから京都駅から四条河原町まで歩いた。川端七条周りの道順で。河原町まで来た手前に洒落たオーガニックのデリがあったから少し寄ってみたら、どうやら一昨日オープンした京阪グループのホテルの一角のようやった。そのデリの中に洒落たBARがありカウンターで一息つく。BARのカウンターで飲むジントニック。なんでこんなに美味いねん。
 
それから寺町から先輩の食堂へ。その寺町に「タイガー餃子」という餃子屋があって満席状態。なにをしてるねん。俺は…
 
先輩とミーティングと称してただ一緒に飲むが、大好きな先輩と過ごす時間はホンマに楽しい。
 
人生は一度きり。
 
最近よく思う。
 

京都ミスター餃子

昨日の休日は京都の老舗有名餃子屋の「ミスター餃子」に行った。
 
餃子とキューリ漬。うちと一緒。場所はけして良くはないが週末になると行列が出来るとのこと。なんでロケーション悪いのに行列が出来るか知りたくて勉強しに行く。厚めの皮で野菜はキャベツやな。充分美味しい。夕方に立ち寄ったがお持ち帰りも次から次へと。京都高島屋にもおろしてる。凄いなぁ。羨ましいわ。勉強になった。大切よ。他の餃子屋に行くのは。
 
それから京都駅から四条河原町まで歩いた。川端七条周りの道順で。河原町まで来た手前に洒落たオーガニックのデリがあったから少し寄ってみたら、どうやら一昨日オープンした京阪グループのホテルの一角のようやった。そのデリの中に洒落たBARがありカウンターで一息つく。BARのカウンターで飲むジントニック。なんでこんなに美味いねん。
 
それから寺町から先輩の食堂へ。その寺町に「タイガー餃子」という餃子屋があって満席状態。なにをしてるねん。俺は…
 
先輩とミーティングと称してただ一緒に飲むが、大好きな先輩と過ごす時間はホンマに楽しい。
 
人生は一度きり。
 
最近よく思う。
 
 

2019年12月7日土曜日

香港

昨日、ランチに中国丸出しの4人組の中年男女混合さんが来てくれたが、もちろん日本語はしゃべられないどころか手話のチームやったがこうゆう対処は僕の得意中の得意分野やからなんちゃって手話とメニューの写真を指差して、それぞれに餃子2人前と一つネギ餃子を作った。で、メモ用紙に中国か?と書いたら手話でバツとして香港やと書いてくれた。なるほど香港か…
 
香港今大変
香港vs中国
 
と書いたら、その香港人は「もちろん香港にきまっとるやないか!」な表情て香港を指さした。
 
私は「香港、自由、希望」
 
とメモ用紙に書いた。
 
香港人は胸の前で手を合わせて、ありがとうのポーズしてくれた。
 
どうやらかなり反中国やな。
 
手話を知らない私との香港人チームとの会話は困難やったけど、その香港人から笑いも1発とれたし充分意思疎通が出来た。こっちがニコニコ笑顔すると相手もニコニコ笑顔返ししてくれる。笑顔っていいよな。
 
僕はここで政治を語るほど知識ないが、中国も日本も政治が危険な方向に進んでいる気がする。
 
香港人チームは、お店に置いていた新聞から香港問題の記事を見つけ手話で討論していた。漢字から少しは記事の意味を理解したのだろう。
 
ルミナリエが始まったので、よかったらルミナリエ見たらいいよと伝えました。
 
最近、いろいろありブログ書けてなかったのは、しっかり一つの目標が固まりそれに向かい行動開始しだした。
 
ある決心したのだ。

2019年11月24日日曜日

食べること

食べることは本当に楽しい。
 
それが美味ければなおさらやし、美味いもんしか食べない。美味いもんを捜しに旅に出たり、それか近場でありそのお店まで行く道のりすら小さい旅になっている。何度もその長いこと通ったお店のマイ定番メニューも、食べては「美味い」と再確認して大満足するし、思い切って初めてくぐった暖簾の奥にたまらん美味いお料理に出会えた感動も、これからの人生に大切なカードの一枚になる。ましてや僕は美味い餃子を作ってお客さんに「今まで食べた餃子で一番美味い」と思ってくれる餃子を作る。たが、人には好みがあるから、なんぼ美味いと思って作った餃子がその人には、なんのインパクトのない餃子の可能性も山ほどあるのは本当に自覚しとかなあかん。一番やとは絶対思ったらアカンが、一番やと思って餃子を焼いている。
 
昨夜、1人の割腹のいい酒の飲みっぷりがストレートで九州から来てくれた紳士な男が一人で5000円ほど使ってくれた。何度も餃子を追加してくれた。忙しかったから話すことは少ししか出来なかったが、その支払い内容だけで僕のお店を満足してくれたのは感じられた。
 
商売冥利につきるし、なにが美味いかを教育してくれた関西弁で言う「おかん」に心の底から感謝してる。
 
ただ、その関西弁で言う「おかん」は舌の教育はしてくれたが金儲けに徹する商売のやり方の教育はイマイチ爪が甘かったな。
 
ちなみにこの写真は、先週の食のラインナップである。

2019年11月19日火曜日

11月はヒマですわ

こないだの日曜日は早く売り切れたので大好きな浦江亭にスタッフと9時すぎには焼肉食べに行ったり、高知から生姜と兵庫の北部からニンニクが届いたり、なんの変化のない11月が過ぎてゆく。
 
嵐の前の静けさ。
 
そんな予感がする。

2019年11月12日火曜日

竜望

息子がバイトしにきた。
 
いろいろあるが、可愛い。
 
息子に絵を描く楽しさを、絵を描くセンスがこいつにあるか、知りたかったからオーパスワンのボトルをテーブルに置いて「これ、描いてみ」と簡単なキャンバスとクレヨン渡し俺は30分ほど風呂入ってたら「出来たよ」という。どれどれと完成した作品を見た。
 
もう少し細かい描写が欲しいと思ったが、力強いシンプルな仕上がりかなと。大切にしよう。
 
わんぱくでもいい
たくましく育って欲しい!
 

2019年11月6日水曜日

井野君

ネオンという響にロマンとか哀愁や大人の夜の香りがする。
 
昔、過去形な話ではないが街の商業用ライトにはネオンが使われていた。街中だけではない。パチンコ屋もここぞとばかりに派手なネオンが輝いてリズミカルに、タッタッタッと順番に光り始めパァーンと全てのネオンライトがフラッシュし、そして全てが消えたその瞬間からまたタッタッタッと光り始まる。街中のパチンコ屋だけではない。ナイトクラブもBARも百貨店も梅田や三宮駅にも夜になると必ずネオンサインが輝いていた。20代の若い頃NYとロスに住んでた時もネオンが輝いてた。あの頃のラスベガスもネオン全盛期だったかもしれない。今はLEDに移りつつあるが、俺的にはネオンにしかない魅力はあると思う。だから20年ちょい前に開業した時にお店の看板には絶対ネオンを使いたいと決めていたのでなけなしの開業資金から確か25万をネオンライトに確保してそのネオンサインのデザインを栄町のBARムーンライトのマスターと考え、ネオン業者をタウンページで見つけてお願いしたのが「カンサイネオン」の井野君。それから何度か移転したがそのネオンをずーっと持ってきて今でも夜になれば僕のお店を輝かせ「今夜も営業してます」とお客さんに知らせてくれている。
 
今、こう書いているうちに、改めて井野君との長いお付き合いに感動しているし、ネオンの良さを再確認している。
 
井野君によると、LEDに街中のライトが移行しつつある今、どうやらネオンの良さや魅力が見なおされ嬉しい事にネオンを必要としている若い人が増えているようだ。井野君から聞いた少しお洒落な話をしよう。日本で普及している赤色のネオンライトはなぜか100%イタリア製らしい。洒落ていると思う。
 
井野君は僕とほぼ同い年。井野君と知り合いお互い50も過ぎた。その20年の月日に井野君は髪の毛がほぼほぼ消滅し俺は、なんの成長もないままの男になってしまった。残ったのは、美味い酒、変わらん女好きのエロ魂、三流の男義。
 
そんな井野君が誕生日に、知ってる人ならこのワインの凄さをわかるだろう。プレゼントしてくれた。
 
かなわんで、ほんまに。

2019年10月30日水曜日

あー京都

おれの誕生日にと、昨夜は京都は楽庵で祝ってもらった。後輩のKもいっぺん京都に僕も連れてってくださいとゆーからKも誘って。またらKは酒が一滴もいらんタイプやから車で来てくれて神戸まで送ってくれるから最終電車を気にせず遊べるゆーわけやからなおさらスイッチオンな夜になってもた。
 
その前にみんなより先に京都に行き鴨川あたり松原あたりを散策する。少しお腹空いたとなり、どこから見ても老舗の肉屋を見つけ、その肉屋からコロッケ揚げる香りがしてミンチカツとコロッケを買い食べ歩きする。ブラブラ歩いてると、なにやらいい感じの神社を発見した。なにげに境内を歩くと神社の鳥居の真ん中に大きなザルがつってありそこに小銭が溜まっている。なるほど。ここに賽銭入れると縁起がいいんやと。ほな、やらん手はない。せーのーでと賽銭したが案の定はいらず。もう一回チャレンジしてみたら入った。一回目の失敗が生きたというわけだ。失敗から学べと、この神社は教えてくれた。で、この神社、よく見ると「えびす神社」これはお願いせなあかん。パンパンと本気でお願いする。声に出してゆーてもた。「マジでたのんますわ」と。
 
それから楽庵へ行きこの夜は5人やからカウンターやなく奥の座敷で今宵も始まるというわけやね。カウンターはカウンターの楽しみ。座敷は座敷の盛り上がりがある。座敷の場合は服のボタンを一つはずしカウンターで振る舞う少し品を気にした箸の使い方から解放され仲間と会話を思う存分楽しみいわゆる「ハメを外し」グッとグラスや盃をあけていく。
 
それからバッキーさんの新しいお店に歩いて行った。烏丸から錦市場まで。
 
「食堂バッキー」& 「BAR KIYO」が屋号。夫婦の名が屋号。素敵な屋号やと思う。素敵な夫妻やと思う。ワイン2本スパーク1本にハイボールやビールやホルモン焼き。よーてきている。それから5条あたりのカフェ&バーで乾杯。それから飲みのシメのラーメンにと京都駅すぐの第一旭でラーメンした。
 
さすがに今日は一滴もいらん。
 
とりあえず土曜の夜まで禁酒する。
 
 
 

2019年10月26日土曜日

金木犀

キンモクセイとスマホで打ったら金木犀という漢字に変換された。キンモクセイは金木犀と書くと初めて知った。なんだか鎌倉時代の寺の香りがする。
 
昨日、大丸辺りの銀行に行く道中に三宮神社がありその境内に金木犀の花が咲いていた。
 
金木犀の甘い香り。
 
小学生の頃、この香りが大好きで秋になるとこの香りがすると認識するまで大人になってもなかなか覚えられなかった。
 
だけど、金木犀の香りがすると小学生の頃を思い出す。
 
ツツジの花の蜜を学校の帰り道にチューチュー吸うてたのと同時期だ。
 
今は通勤の途中にムチムチのマダムの胸とお尻を見ている。
 
なにも変わっていないんやなと思う。

2019年10月25日金曜日

赤萬

昨日、昼過ぎに少し小腹が空いてなんか昼ごはん食べに行こうと元町駅南の金時食堂に向かって歩いてたら赤萬の前を通り過ぎた時に、神戸一の餃子を食べて自己啓発しようと久しぶりに赤萬に行く。
 
カウンターに座り餃子2人前を注文した。
 
餃子を焼く時に入れる水の量、タイミング、鉄板の火加減、焼く時間、など見るところが山ほどある。もちろん味も。赤萬の餃子の皮と僕の餃子を皮の仕入れ先は同じ。違うのは皮の厚さとサイズだけ。赤萬のメニューは餃子オンリー。正直言うと餃子のみなんて羨ましい。一種類だけ。かっこいい。僕のお店は数種類の餃子にアテがある。それはそれでいいのだが、いつかは餃子オンリーでしたいと本気で思う。赤萬のロケーションも羨ましい。赤萬の店内の配置も席数もカウンターも全てが完璧やと思う。
 
注文して2人前を食べ終わるまで約15分ほどやったが「今、この元町駅南の神戸の一番有名な餃子専門店のカウンターで餃子の古屋の私が1人で餃子を食べている」という意味は俺だけしかわからないし、この世の誰も関係ないのだが、表現は難しいが「この赤萬の餃子の全てを理解できる人間度数第一位」やと意味不明の満足感につつまれた15分やった。
 
いつの頃から最近は餃子屋が増えてきた。今月号の雑誌meetsも特集くんでいる。この神戸にも数軒三宮あたりに開店している。
 
商売は難しい。今やSNSを駆使して展開したり新しい餃子のメニューで勝負して注目を集めるやり方もある。僕にはその手法がわからないし上手くはやれない。そして餃子の味の好みがあるから、私の餃子がどんな評価されてるかわからないが、自分の餃子には自信がある。そのへんの、餃子の古屋の真似事してるクソみたいな餃子と一緒にすんなという気概がある。
 
ただ、実はこんな俺やけどここにはかなわん餃子屋がある。
 
大阪ミナミは島之内にある「三国亭」
大東市の「丸正」
西明石の「ぎょうざ一番」だ。
 
この三軒に、少しでも近づきたいと思いながら毎日餃子を焼いている。
 
 
 

2019年10月24日木曜日

錦市場

昨日は楽しかった。
 
京都は錦市場にある漬物屋の大将バッキー井上さんがされてる錦市場すぐそばの立ち飲み酒場がリニューアルしてバッキーさんから「見にきてーな」と連絡あり行ってきた。
 
行く前に、かなり疲れが溜まってたから阪急十三駅で下車してマッサージ屋に入り首から腰から肩から1時間もんでもらう。寝違いなんかんからんが首が回らんのや。落語のオチやないが、あっちも首が回らん。
 
で、十三から烏丸まで阪急。烏丸で下車して少し時間があったから迷わず錦市場スグソバにある錦湯(銭湯)で1時間ゆっくりした。しかし銭湯で1時間も身体を休めるとホンマに生き返る。ドッサリと銭湯で発汗する。錦湯はサウナはないがそれでもかまわない。昔、中学生の頃ツレと近所の銭湯に週に三回は行ってた。サウナなんかはなかった。逆にサウナに気を取られず湯船に浸かるだけという銭湯本来の楽しみを思い出した。錦湯はラッキーなことに水風呂があるので湯船で身体を熱々にして風呂水風呂に入り電気風呂でビリビリさせて水風呂に入るの繰り返し。ストレス解消ゆーたらこのこと。風呂上り、外に出ると生まれ変わったように身体がスッキリすると言うわけだ。生き返った。さあ、飲むぞ、と。
 
リニューアルされたバッキーさんのお店は斬新なスタイル。お店の右側はレデースが接客担当。左側が男性が調理する。遊び心がギュッと。リニューアルやから身内だけの集まりやったが、京都の大人の遊び人が集いみんな飲んで楽しまれてた。しかもこの夜は「金はいらん。飲んでくれ」のバッキーさん。そしてバッキーさんの相方の、私の師匠の江さんももちろん参戦されて、グラスの上げ下げが止まらんわ。俺はバッキーさんの手下やからもちろん仕事着は持参して邪魔のならんようにお手伝いした。よそさんの仕事場に入るのはよくないのは百も承知。だけど、京都の錦市場の酒場で、そのカウンターで店の内側になってみたい。だから神戸を出る時、調理服にアイロンをかけていたという次第だったのだ。バッキーさんに、実は今夜お店が忙しかったら皿洗いでもしたいから調理服を持ってきました。と、伝えると「はよ着ろ、はよ着ろ、おもろいやんけ」と。せっかく持ってきたが、やっぱりやめとくわ。なんて言うとまわりで飲んでる連中が「はよ着ーよ。なにしに持ってきたん」と背中を押された。実は俺はこの瞬間を待っていたのだ。調理服に着替え店内の左側の鉄板焼きのコーナーに進み焼きそばを作る。餃子は毎日焼いてるけど鉄板焼きは初めてやから勝手がわからん。それでもビール飲みながらワイン飲みながらカチャカチャ鉄板焼きのコテで焼きそば仕上げた。
 
生まれも育ちも祇園ど真ん中の品の塊な紳士。
丁寧な人柄のBARのマスター。
なんの職業かわからんあやしげなおっさん。
オモロイ飲食店のオーナー。
 
ごちゃ混ぜの楽しい夜やった。
 
やっぱり外に出てて、知らない人と知り合う。
 
大切やなと。

2019年10月20日日曜日

誕生日

先日、53の誕生日を迎えた。若い頃は誕生日に友人集めてどんちゃん騒ぎしたもんやがもうそんなガラでもなくなった。それより僕を産んでくれた母にありがとうと思う。母は父とは相性が合わなくて気がつけば母がいろんな仕事しながら稼いで僕を作ってくれたと思う。父は父で破天荒なスタイルで生きていた。父は神様みたいな人やった。父は父ではなかった。父は東京に住んでいたから会うこともあまりなかったが、とにかく面白い人で常にユーモアを忘れずに堂々と生きていた。任侠な人やった。母は真っ直ぐな人で好き嫌いがはっきりしていて、かっこよかった。父も母も死に際がクールやった。父が先にあの世に行った。父は癌で心臓が止まるストップウォッチを持っていて、ある日東京から電話あり「もうそろそろ死ぬから会いに来い」と言う。そやから新幹線に乗り父のいる東京通信病院に会いに行き最後のお別れをした。父はあと1週間やからもう今日が最後や。パパみたいに東京で仕事しろ。神戸にいたらあかん。それからパパは楽しい人生やった。と、言って初めて父の目から涙が落ちるのを見た。それから新幹線で神戸に帰ったその夜、父は旅立った。母のことはまたあらためて書きたい。
 
そんな父と母の作品が古屋泰三。
 
誕生日を迎えて改めて思う。父と母に感謝やと。
 
そんな夜、ツレが誕生日を祝ってくれた。ケーキなんか作ってくれて元町駅南の「焼肉アカツキ」で乾杯して記憶ぶっとぶくらい飲んでもて面目丸潰れの巻。高校の時の同級生の粋なツレはエロDVDのパッケージ仕様のパッケージの中にツレがオレの似顔絵を描いてくれた。洒落た男よ。一番大好きなBARのムロさんからキレキレの日本酒を届けてくれた。京都の芸者の姉さんが晩ご飯連れてくれた。 
 
この一年も、やらないとアカン事が山ほどある。
 
これでいいのだ。
 

2019年10月13日日曜日

秋華賞

時間があれば仕事前にデリカフェでモーニングするが何時に来ても「あと30分でも早くこれたらもう少しゆっくり時間がすごせるのに」と毎回思う。
 
2週間前から喉が痛くたまらなかった。で、昨日、須磨駅にある西村耳鼻科(お店の常連さん)に行き診てもらった。前に別の耳鼻科で処方してくれた薬を伝えて、今回は西村耳鼻科セレクトの薬を処方してもらう。すると今朝から喉の調子がすこぶるいい。
 
で、喉の調子が悪いのとたかが2週間働き続けてるだけやのに、元気がイマイチないヨワタンみたいな男やから、ここは焼肉くーてスタミナつけなと毎度毎度の浦江亭によく行く。夜やから炭水化物は控えてるカスみたいな男やけど、ご飯食べてパワーつけなアカンと泣く子も黙るタレたっぷりつけた焼肉にご飯。もう夜でも焼肉ご飯を我慢しないと決意する。
 
神戸市の糞教師。我が子も小学校通っとるが担任の先生は大丈夫やろか。個性を伸ばす、みたいなエセ教育はいらん。熱く生きろと教えて欲しい。なんでもえーからと。しかしこの須磨の小学校の校長のオバハンにビクビクしてる教師の構図。なんやねんと思う。そして若い新人の先生をイジメる教師。言葉がみあたらん。
 
秋はサンマと競馬。
 
そのサンマも数年前から脂ギトギトのサンマを見なくなり、競馬もなかなか当たらん。
 
秋はおっぱいでかいムチムチ熟女もえーが、品のある髪の綺麗なマダムの後ろ姿がポイントアップだ。
 
静かな秋が好きなんだよ。