2021年10月26日火曜日

55の10月

先日、55の誕生日を迎えた。
 
もう、この歳になると誕生日に対してなにも思わなくなったが心の中で「お母さん、僕を産んでくれてありがとう」と思う。そのお母さんに会いたい。今でも母を思うと本当に涙が出る。どうしても母に会いたい。生きてたら、母はスーパーややこしいが亡くなって何年も経つが今すぐ会いたい。京都の街を一緒に歩きたい。お母さん、頑張るからね。とにかく美味い餃子で有名になるからね。何か美味いかを分かる舌を教えてくれてありがとう。
 
1枚目 昨日、地元のツレと塩屋の家でBBQしよと集まった。入院中に友達になったH君も誘った。京都のバッキーさんの息子のロマンも呼んで。シャンパンのんで調子に乗ってもてオーパスも開けてもた。おかげて二日酔いの巻。
 
2枚目 こないだの日曜日の菊花賞。スポニチの予想にそのままのっかり単勝と馬連はとったが3連単の3着に鼻先で福永の馬が滑り込みあわや50万がフイになる。人気薄の阪神の福永は要注意だ。
 
3枚目 昨夜のお酒を抜きに垂水の太平の湯でゴッソリ岩盤浴で汗を出す。実は今日、塩屋から新大阪の回生病院に検診があり9時には新快速で新大阪まで行った。それからまた神戸に戻り太平の湯に行く。どうしても岩盤浴で頭を空っぽにしたい。疲れているようだ。明日も休んで、太平の湯で一日中いたいが…
 
4枚目 垂水駅にある立ち食い蕎麦屋の看板が大好きだ。こんな看板を作りたい。看板のデザインを考えよう。
 
5枚目 仕事が終わり、賄いの餃子とハイボール。こうやってカウンターに座り、お客さんの気分になり餃子を食べ味を確認する。とても大切。
 
最近、無人餃子の店舗が流行っているようだ。
 
全く興味がない。大切な事が見失われていくと思う。

2021年10月18日月曜日

ご縁との出会い

お店をしていると、たくさんの人に出会う。お客さんだけではなく取引先や同じ会館の仲間や飲食店の横の繋がりやらで、たくさんの人と言うより「友達」になる。しかしそのたくさんの友達も、確率でゆーたら何千万分の一。その何千万分の一の先に出会った友達。うまくは言えないが、なんか凄いなと。で、また50を過ぎると出会う人はいい人ばかりだ。カチンとくるヤツは会わなければいいだけの話しなのだ。
 
昨日は、入院してた病院で知り合った回生病院仲間とH君と退院祝いに乾杯する。入院中はH君が先に入院していて俺が先に退院したから彼が病院の先輩やった。オペが終わり三階のリハビリ病棟から四階に移動してからH君とは毎日約1ヶ月半毎日顔を合わせていた。俺は2カ月で退院と決まっていたから病院ではなるだけ病人仲間を作らないようにと決めていたから、看護師さんと理学療法士と以外はしゃべらず、読書と屋上から眺める雲だけの日々やったが、結局寂しさに負け友達を作った最初の人がH君。
 
H君は、神経系の病気で気が滅入るような戦い中でリハビリの後は必ず屋上に行き気分転換していた。俺も入院生活で唯一の楽しみが屋上やったから自然と言葉を交わし、お互い早く退院してシャバの空気を吸おうぜ!と励まし合い、夕食が終わると毎晩リハビリのベットで自主トレをしてた。
 
俺が先に退院したが(7月末)H君は、俺の素人目から見ても退院は秋くらいになるやろとおもっていたが彼は「古屋さん、8月中頃には退院しますよ。もう後は自分で頑張ります」と言っていた。俺はH君の希望を損ねることはできないから「絶対、退院出来ますよ。見切り発車でもええから退院してください。そこからまたスタート切ったらええだけの話ですわ」と言って先に退院した。
 
その後、連絡は取っていたがある夜H君から電話あり、今お店の下にいますと言う。慌てて降りるとH君が松葉杖で立っていた。しかし彼は階段が無理なのでH君に俺は何もする事がなくその場で別れたが、せっかく彼の住む街の芦屋からわざわざ俺に会いに来たのに、その気持ちを思うと胸が痛くなり後日連絡し、三宮で乾杯しようと企画して先日、退院後久しぶりに再開し三宮高架下の居酒屋で飲んだ。
 
確かに2カ月の入院生活はしんどい。基本、常に患部は痛いし車椅子やし、楽しいのは看護師さんのパンツのお尻見ること以外なんにもない。ベットは狭いし枕も小さく温もりがない。いいことなんてなにもない。しかもコロナやから外との接触が遮断されているから気がおかしくなる。プラスになるのは当たり前やが病気が治るだけなのだ。それでも、俺は入院してよかった。それはH君と友達になれたから。
 
何千万分の一の確率で知り合えたご縁ってなんだろうか。
 
それは、彼との出会いだけではない。今、こうやって生きているのは今までの、いろんな出会いの先に、今、こうやって、ここにいる。
 
ならば、言えるのは、もっと何かを大切にしないと。そう思う。
 
結論。
 
入院してよかったよ。
 
1枚目

2021年10月12日火曜日

垂水の喫茶ブラジルにて

長かった夏休みも終わり10月1日から以前の生活、つまり京都四条河原町裏寺で餃子を焼いての毎日が始まった。
 
入院、緊急事態とで5ヶ月は働かない日々で久しぶりに現場に戻ったが3日も働けばそれが普通になる。藤井大丸の地下で仕入れ、ついでに賄いの刺身(マグロか鰹かカンパチ)を買い仕事が終われば餃子を焼いて刺身とハイボールでいい気分になり、宮川町の大黒湯という毎日が始まるというわけだ。長い間、シャッターを降ろしていたにもかかわらず予想していたよりお客さんが来てくれ予約も順調。なにより、お客さんから「美味しい」と言ってくれる一言が希望の源だ。まずは、味で勝負。洗い物が追いつかなくなりバイトを入れるほど忙しくなる。これが次のステージだ。
 
1枚目 宮川町大黒湯。ここが俺の銭湯。京都に引っ越したらいろんな銭湯の暖簾をくぐろうと思っていたが結局、七条鴨川に引っ越したら大黒湯にしか行かなくなったがそれでいい。それほど大好きだ。熱すぎる湯とサウナに20円のマッサージ機と女将さん。それにここの鏡広告に出させてもらっているからなおさらだ。仕事が終わり約1時間ここ。京都に引っ越して、大黒湯の毎日とは本当に幸せを感じる。
 
2枚目 今日、神戸に帰ったのは入院中にできた友達と飲みに行くため昨夜、阪急河原町から阪急で帰った。朝、ベランダに出ると見慣れた海の景色だが、やっぱり海はいいなぁ。最近、この景色を見ながら郷ひろみの「ハリウッドスキャンダル」を聴きながら熱唱する。なんかの本で読んだフレーズで、歌を歌う事は心の健康にいいらしい。
 
3枚目 喫茶ブラジルで今これを書いている。今や神戸に帰れば必ずここ。何時間でもおれる。
 
4枚目 夏の終わりに、マイ師匠であるバッキー井上さん夫妻とその仲間と神戸仲間で塩屋ハウスパーティーをした。塩屋の肉屋さんで高い牛肉とワインやスパークで飲み明かす。サウンドはほぼ昭和歌謡で踊り騒ぐ。
 
夏の終わりって
 
いいフレーズだなぁ。
 
5枚目 夏の終わりのもう一枚。そろそろ京都に帰り仕事が始まる前に塩屋に帰り、駅から漁港を通って帰ろうと漁港に行くと地元のツレが漁港でBBQをしていて、一緒に飲む。2週間前だがもう遠い過去。だけど今年の夏は思い出いっぱいの夏やった。自分の性格が少し変わったくらい、いい夏でした。