2021年10月18日月曜日

ご縁との出会い

お店をしていると、たくさんの人に出会う。お客さんだけではなく取引先や同じ会館の仲間や飲食店の横の繋がりやらで、たくさんの人と言うより「友達」になる。しかしそのたくさんの友達も、確率でゆーたら何千万分の一。その何千万分の一の先に出会った友達。うまくは言えないが、なんか凄いなと。で、また50を過ぎると出会う人はいい人ばかりだ。カチンとくるヤツは会わなければいいだけの話しなのだ。
 
昨日は、入院してた病院で知り合った回生病院仲間とH君と退院祝いに乾杯する。入院中はH君が先に入院していて俺が先に退院したから彼が病院の先輩やった。オペが終わり三階のリハビリ病棟から四階に移動してからH君とは毎日約1ヶ月半毎日顔を合わせていた。俺は2カ月で退院と決まっていたから病院ではなるだけ病人仲間を作らないようにと決めていたから、看護師さんと理学療法士と以外はしゃべらず、読書と屋上から眺める雲だけの日々やったが、結局寂しさに負け友達を作った最初の人がH君。
 
H君は、神経系の病気で気が滅入るような戦い中でリハビリの後は必ず屋上に行き気分転換していた。俺も入院生活で唯一の楽しみが屋上やったから自然と言葉を交わし、お互い早く退院してシャバの空気を吸おうぜ!と励まし合い、夕食が終わると毎晩リハビリのベットで自主トレをしてた。
 
俺が先に退院したが(7月末)H君は、俺の素人目から見ても退院は秋くらいになるやろとおもっていたが彼は「古屋さん、8月中頃には退院しますよ。もう後は自分で頑張ります」と言っていた。俺はH君の希望を損ねることはできないから「絶対、退院出来ますよ。見切り発車でもええから退院してください。そこからまたスタート切ったらええだけの話ですわ」と言って先に退院した。
 
その後、連絡は取っていたがある夜H君から電話あり、今お店の下にいますと言う。慌てて降りるとH君が松葉杖で立っていた。しかし彼は階段が無理なのでH君に俺は何もする事がなくその場で別れたが、せっかく彼の住む街の芦屋からわざわざ俺に会いに来たのに、その気持ちを思うと胸が痛くなり後日連絡し、三宮で乾杯しようと企画して先日、退院後久しぶりに再開し三宮高架下の居酒屋で飲んだ。
 
確かに2カ月の入院生活はしんどい。基本、常に患部は痛いし車椅子やし、楽しいのは看護師さんのパンツのお尻見ること以外なんにもない。ベットは狭いし枕も小さく温もりがない。いいことなんてなにもない。しかもコロナやから外との接触が遮断されているから気がおかしくなる。プラスになるのは当たり前やが病気が治るだけなのだ。それでも、俺は入院してよかった。それはH君と友達になれたから。
 
何千万分の一の確率で知り合えたご縁ってなんだろうか。
 
それは、彼との出会いだけではない。今、こうやって生きているのは今までの、いろんな出会いの先に、今、こうやって、ここにいる。
 
ならば、言えるのは、もっと何かを大切にしないと。そう思う。
 
結論。
 
入院してよかったよ。
 
1枚目