2024年1月30日火曜日

1/30 火曜日

今日の休み、どうしようかと昨夜から餃子を焼きながら考えていた。どうやら明後日の水曜日あたりから天気は下り坂らしい。

1、神戸に帰り、元町で青葉の鰻を食べ塩屋に帰り太平の湯〜塩屋駅前の居酒屋「静」

2、京都でジムで筋トレし、京都府立図書館でたっぷり読書

3、奈良の興福寺の阿修羅像を見に行く

4、京都駅から三千院へ

朝、起きてジムに行き帰宅して洗濯2回回したら予定より2時間も過ぎていた。奈良と神戸はあきらめ京都府立図書館にした。七条京阪から三条京阪へ。駅を降りたら古い食堂を見つける。この食堂はよく雑誌で拝見した有名な食堂。はらぺこだったので簡単なラーメンを注文した。満腹になると読書に集中できない。

以外とすぐにラーメンが到着した。

懐かしい昭和のラーメン。カツカレーも食べたかったがここは我慢してお店を後にした。

府立図書館を探して歩いた。

2024年1月25日木曜日

1/24 水曜日

夕方から雪が降り出し滋賀も大雪警報が出た昨夜、さすがに地元のお客さんは数組だったが外人さんが7割でまあまあ忙しい夜だった。スペイン、フランスの小さな島から、台湾、NY、ロンドン。

火曜日に、とある料理人をスカウトしに帰り酒を飲んだがおそらく断られるだろう。本当に右腕が必要だがかなり難しいそうだ。おそらく断られるだろう。俺に、餃子屋に、まだまだ魅力がない。うーん。

人生は邂逅につきる。いいご縁がありますようにだ。

まかないの餃子を食べて1日が終わった。

2024年1月23日火曜日

その3

天気予報では今季1番の寒波が来るという。朝起きてテラスから海をみるとどんよりと暗く冷たい冬の海だった。

今日は夜の7時に塩屋で後輩のヤツと飲む約束がある。俺から誘った。確率は数パーセントだが俺の子分にならへんかのスカウトだ。それまで時間があるから昼ご飯は元町の「鰻 青葉」で鰻をいただく。

昼過ぎにに青葉に着いたら「泰三さん」と声がする。振り返ると30年来の7つ下の後輩が。こいつとは俺がまだフラフラしてたチンピラ時代からの仲間で弟みたいなヤツ。一緒に鰻食べよとなり偶然が重なる。まさか鰻の青葉でツレに会うとは。鰻を食べ終わり俺がトイレに行ってる間にツレが支払い済ましてる。

その後、昭和なおっさん2人は近くのタバコ臭い喫茶店でコーヒー飲む。

俺もツレも飲んだコーヒーは、砂糖2杯入れの巻。お前もたいがい甘めやな。泰三さんもですやん。

これでいい。

その2

京都駅に着く。日が暮れる頃の京都駅は街に行く人と帰宅する人が交差し活気がある。今は月曜日だが気分は休みに突入してる。構内のコンビニに寄りハイボール缶を買い、ベルトを緩め新快速に座る席を確保しハイボールを一気に飲み干した。先ほど購入した文庫本を読む。それを読みながら今夜の晩御飯の予定を考えた。4択だ。

1、三宮で下車して高架下の居酒屋か串カツ屋
2、元町駅で下車、駅北の焼肉屋
3、垂水駅で下車、駅南の居酒屋
4、塩屋駅の食堂「しろちゃん」

いろいろ考えたが一旦電車を降りてまた乗るのが面倒くさい。ここはさっさと塩屋に帰り、久しぶりに食堂「しろちゃん」で地元飲みにしよう。しろちゃんのママさんにも会いたい。

塩屋駅に着く頃には日が落ち、寂しい夜の駅前に居酒屋の明かりがポツリと灯るそれになっていた。しろちゃんの暖簾をくぐると友人夫妻が2人で宴会していた。ツレ夫妻の旦那は葉加瀬太郎な髭野郎、ワイフは関西では有名DJのカレンちゃん。10年前に塩屋に移住してローカルになって楽しんでる夫妻。ここは一緒に飲むとなり3人で乾杯となった。

話によると、食堂しろちゃんは週末にはSNSでバズり行列ができるようになってるとのこと。そりゃそうなるわ。ここはホンマにええ昭和大衆食堂。いつまでもバズって欲しい。

1/23 塩屋に帰る その1

いろいろあって月曜日を休む事にする。夕方にはシャッターを下ろして河原町から烏丸まで歩いた。それから地下鉄で京都駅〜塩屋へ。

夕方の四条河原町から烏丸は仕事終わりのサラリーマンやOL、観光客、学生が行き交い烏丸の西が夕暮れで一日の終わりを感じる。烏丸あたりに近づいた。地下に入る入り口を見つけ階段を降りたら本屋があった。俺は本屋を見つけると入りたくなる。今からは塩屋に帰るだけ。時間はあるから本屋に入り帰りの電車や塩屋の家でなにかを読もう。一冊のつもりが3冊。

神戸への新快速に座れるのを願う。

めは

2024年1月22日月曜日

カメラが大好きで

1週間がようやく終わりに近いてきている月曜の昼に四条河原町のスタバでこれを書いている。

四条河原町のスタバのカウンターは阪急河原町駅6番出口を上がったその上にあり四条道りを眺める形のカウンターだ。このカウンターが空いてれば必ずここに座る。そこでゆっくりコーヒーを飲む。砂糖にミルクを入れて。行き交う通行人、流れるタクシーや市バスを眺めているだけで頭が空っぽになり心が落ち着く。そんな瞬間でもエロい髪型の熟女のオッパイ、キャンキャンした女のオッパイを確認してしまう。コーヒーの味なんかどうでもいい。

小学5年あたりから仏像の魅力にはまり京都や奈良の寺におじいちゃんに連れていってもらい6年あたりからは1人でよく京都に来ては写真を撮っていた。それから34歳あたりからスノーボードを覚え雪山の写真を撮るようになった。あの頃はまだフィルムカメラだった。どうゆう経緯で買ったのは忘れたけどその頃はペンタックスのMZ3を愛用して、ゲレンデに行く時は必ず首からぶら下げたくさんシャッターを切っていた。その作品を集め神戸大丸近くのギャラリーで個展もした事がある。その後、デジタルカメラが普及しいつのまにかMZ3はほったらかしにして存在すら忘れていたが先日、発見してとても懐かしくなりどうしたらいいか考えた結果、このフィルムカメラにオールドレンズをつけてみるのもありやなと、8000円で約60年前のレンズを四条河原町にあるカメラのナニワで買い装着してみた。

京都の暮らしに楽しみがふえた。

こうやってブログを書いているが、行き交う女のオッパイやお尻を探している。

2024年1月16日火曜日

太平の湯

1週間が終わりやっと火曜日が来た。正月も終わり、恵比寿さんも終わりこれから3月あたりまでは毎年のことだが忙しくなることはないだろう。昨夜も8時過ぎて客足はパタリと止まった。大黒湯も行かず真っ直ぐ帰宅する。

今日の休みはレンタカーを借り神戸に帰った。赤穂へ牡蠣を食べて地元塩屋に帰り3時あたりから太平の湯でゆっくり過ごす。

今日は京都を忘れ見慣れた景色の淡路島と明石大橋を眺めると、以前は毎日見ていた風景やからなんにも思わなかったがこうやって離れてたまにしか見ないこの一枚の景色が美しく壮大に目に入る。明石大橋は夕暮れが1番映えるのだ。

岩盤浴でたっぷり汗を出し、フロアで婦人画報を読む。

2024年1月15日月曜日

銭湯仲間の居酒屋にて

商店街を出て左に向かって歩くと洒落たイタリアンが開いていた。一度は通り過ぎたが今日は予定のない1日だったので、俺はさっきもコンビニで缶ビールを飲んでしまいただブラブラ歩いているだけだった。なんの予定のない一日、知らない街を1人で散策する。昼過ぎに開いているイタリアンを見たらもう少し飲みたくなった。イタリアンの扉を開けてスタッフに「ランチは何時までですか」と聞くと2.30ラストオーダーという。あと30分は過ごせそうだ。席に座り簡単な前菜とビールをいただく。店内を見渡すと石窯があった。ここはピザ屋と知る。

店を出て少し歩くと三条京阪駅に着く。あーここはその辺りやったんか。これはいい。このまま七条まで帰れる。家に着くと3.30。ソファに座ると1ミリも身体が動かない。疲れたのかそのまま1時間ほどソファで寝てしまった。目が覚めて、今夜の予定を考える。もう京都駅あたりに行く元気もない。家の近辺から離れたくない。ならばと、まずは銭湯に行きサウナどっさり入り電気風呂に浸かりリセットし、1人休日の第二部を楽しむぞ。チャリに乗り白山湯に行ったが暖簾は閉まってあり休みだったので以前は毎日行っていた梅湯に行く。梅湯はサウナの梅湯とうたっているが実は梅湯は水風呂がいいのだ。梅湯で2時間。サウナで汗を出しながら「このまま風呂上がって行けるのは櫻バーしかないな」となり電話するとかわいい女将さんが「カウンター前の狭い席なら」と言う。櫻バーのカウンター前の狭い席とは実は特等席なのだ。その席は大将が調理する持ち場の目の前であり、大将と話せれるVIP席なのだ。俺が1人で行く時は必ずカウンター左から3番目の席に座る。

梅湯を出て帰宅し、ほんの少しオシャレして清水五条から東へ。大和大路を上ると櫻バーだ。

この夜もやはり俺の席は左から3番目だった。アテは造り、野菜天ぷら、てっぱい。それと生ビール大と日本酒。大将と競馬の話と銭湯の話だけで1時間。だったそれだけの酒やのに、ご馳走様と店を出ると、どこを歩いているのかわからないほど酔っていた。

それから高瀬川そばにある美人ママのバーに行き、さらに酔いわまわる。気がつけば帰りにスーパーに寄りカレーの具材を買い、玉ねぎとスジ肉でニンニクどっさりカレーを作っていた。

2024年1月14日日曜日

見知らぬ商店街

昼下がりのビールは気持ちよく酔う。すぐ酔う。酒も入り時刻の事はどこかへ消え、ただ昼下がりの午後、なんとなく広い道を感覚だけで探して歩いたら、これはおそらく蹴上や都ホテルに行きそうな広い道に出た。そこを右折すると軽く下りになり鴨川に着きそうな感じだったのでそのまま歩いた。昼前に家に帰り京都駅あたりで遊ぶ計画は諦めとにかくゆっくり過ごそう。酒を飲むとすべてがどうでも良くなった。

すると左手に古びた細い商店街が見えた。時間はたっぷりある。とりあえず歩いてみよう。商店街のほとんどはシャッターが下りて音のない静かな時間が流れている。居酒屋があいていた。肉屋、誰が買うねんみたいな古びた服屋、接骨院、喫茶店、洋食屋…

洒落た包丁研ぎ屋があった。入ってみると天然石を削った砥石が並び、その奥で若い男が包丁を削っていたので、ここは何屋さんですかと聞いたら包丁研ぎ屋ですと言う。なるほどと感心し、包丁研ぎの悩みを言うと「みんなそうですよ。真っ直ぐ研ぐのはなかなかです。よかったら持ってきてくれたら直しますよ」

これはいいお店を知った。見知らぬ商店街に迷い込んだ意味があったやないか。必ず来ますと伝えて店を出た。それから広い道に戻りおそらく鴨川に出るであろうな方向へ歩いた。

2024年1月12日金曜日

美術館にて

大吉の後、四条河原町からバスに乗り京セラ美術館へ。あの辺りには京都に来て初めて行った。巨大な鳥居があった。それは平安神宮だと知る。そのすぐそばに美術館はあった。この辺りは平安神宮があり美術館がありあたりにはビルやマンションもなく見上げると乾いた冬の空がいっぱいに広がり、いろんなことを忘れさせてくれる。ただ空を見ているだけでいい。つまらん悩みなどどうでもよくなる。

美術館など行くことがないから、美術館に足を運んでいる自分に、そんな時間に大満足だ。美術館に入り説明を聞く。よくわからないが絵と彫刻と書道とデッサン。館内を歩いてみたが彫刻と書道は全くわからなかったし、絵も8割は意味不明だったがいくつかは、いいなぁと。

美術館は1時間ほど。

それからコンビニで缶ビールを買い、早速コンビニのテラスで昼飲みする。酒を飲むと全てがどうでもよくなってきた。あたりを散策しよう。カメラも首からぶら下げて、どこから見ても物腰の柔らかいダンディなおじさんに見えるぞ。

昼下がりの岡崎辺りを散策する俺。  
オールドカメラをぶら下げて歩く俺。
美術館に行った俺。
Fカップとエロい尻が好きな俺。
京都で1番小さな餃子屋の俺。

コンビニのテラスを離れたが方角がわからない。とりあえず広い道がありそうな道を歩いた。

2024年1月10日水曜日

恵比寿さん

お客さんからいただいた日展のチケットが1枚あるのでせっかくだから行くことにした。その前に恵比寿神社にお参りだ。昨夜、大黒湯の女将さんが朝の10時に宝恵かごを見れると言っていた。どうせ行くならとそれも見よう。それから京都美術館に行きサクと見て12時には帰宅して本屋でも行き喫茶店で読書しよう。カメラをぶら下げて家を出る。

まだ時間が早いのか恵比寿さんもそんなに人はいなかった。そうすると遠くから「ほいさ、ほいさ」と時代劇から飛び出した宝恵かごが。かごの中には芸者さんが。いーなぁ。京都は。

元旦に引いたくじが大吉だったからくじをひくのをためらった。大吉のまま終わりたい。が、もし大吉2連発ならマックス縁起がいい。迷ったがここは勝負だ。大吉を引くんだぞと念じくじを引くと、まさかの大吉だった。

たとえくじ引きとは言え、大吉2連発は嬉しい。河原町までご機嫌で歩き201番のバスで京都美術館へ向かった。

2024年1月9日火曜日

正月あけの休日  その1

昨日は昼から、今夜は神戸に帰るか京都で1人でゆっくり過ごすかを1人で相談しながら餃子を焼いていた。


最終電車で塩屋に帰り、火曜日は京都の全てを忘れ海を見ながら白ワイン飲んで絵を描いて夕方から駅前の居酒屋「静」で冷酒を飲むか、このまま仕事が終わりシャッター下ろして大黒湯で「1週間お疲れ様でした」と、年始からたった3日しか働いていないのに、たっぷり銭湯に浸かり労働の疲れを取るか考えてたが最終電車に乗る時間には間に合わず結局、12時過ぎに大黒湯に到着してサウナ、水風呂、電気、泡とフルコースの仕事終わりになった。大黒湯にしてよかった。

2024年1月6日土曜日

その3 ヨドバシにて

アマゾンでモーニングした後、そのまま京阪に乗り祇園四条まで。それから店に行き5分ほど用事がありそれから家に戻りひと風呂入って京都駅のヨドバシに向かう。休日なので首にオリンパスの古いデジカメぶら下げて。僕はカメラが大好きだ。上手くはないけど、何気ない景色を撮る。ストリートフォトだ。高いカメラなんか買えないし技術が追いつかない。3万以下のデジカメの中古で大満足。フジのカメラが欲しかったがなぜかオリンパスのOMとPENを持っている10年以上前の中古。この日はPENをぶら下げて。京都駅前にカメラのキタムラがある。まだ時間は12時前。ぶらりと立ち寄ってみた。少しオールドレンズが気になっていたから。

キタムラにいく。ペンタックスのスーパータクマ55mが5000円で発見した。時間もある。定員さんに質問すると、どこから見てもオタク度数120点で、カメラに対する愛情が半端ない。僕がイチ質問すると20も30も答えてくれる。優しいのだ。ペンタックスにスーパータクマのレンズを装着するアダプターを入れても8000円くらいだったので嬉しくなり購入した。2012年発売のカメラに1965年発売のレンズを装着する楽しみ。オタクも我ごとのように喜んでくれた。オタクの名言「カメラには時代も値段も正確はないんですよ」

なるほど。そうか。人の生き方にもつながるなと。いい言葉をいただいた。

それからヨドバシに行き本屋で1時間、カバンコーナーで1時間、ノートパソコンコーナーで1時間。

今日は散財した気だったので晩御飯はスーパーで鱧が500円で売っていたので自炊だ。それと缶ビールロング1本。

MacBookからWindowsに写真と音楽を移動させたいが、結局なにもできず12時まで頑張ったが神経がイライラしただけだった。

ヨドバシの本屋さんで買った一冊。ウーエンさんの料理本。ウーエンさん、好きなんです。


2024年1月5日金曜日

その2 豊臣秀吉の墓へ

昨夜、大黒湯のサウナの中で明日の計画を考える。その計画の70%出来れば合格にしよう。今までの経験上、予定通りしたためしがない。まずは豊臣秀吉の墓は絶対行こう。

7時に目覚め、8時には七条大橋を渡り豊臣秀吉の墓まで約30分歩く。夏以来、久しぶりに登った。500段の階段を上がり墓に着く。その墓の左に入ると眼下に清水寺と御所が見える。名前はわからないがその先には山々が。その盆地のど真ん中に鴨川が。京都に引っ越しもうすぐ4年目か。

数分ほどで階段を下り、七条の喫茶アマゾンでコーヒーを飲むことにした。

正月最後の休日 その1

正月休みは竜と過ごして昨日の夕方に京都に帰った。京都駅で竜と別れ少しやれやれだった。3日だけだが京都を離れ志賀まで行くとなぜだろう、駅を出て京都タワーの灯りを見たら京都に引っ越して初めてホッとした。今夜は自炊は無理やから駅前の安い焼肉屋でサクッとホルモンとビールとご飯で1人ごちだ。俺は生焼けとよく焼きのホルモンを一個ずつ交互に焼く。それとビール。ハイボールも追加した。それから帰宅して洗濯回して、あまりにも肩凝りがひどかったからここは西洋医学に任せてロキソ飲んで大黒湯で思う存分サウナと電気風呂で疲れを癒そう。

大黒湯に着いたのは8時すぎ。こんな早い時間に大黒湯なんか滅多にない。思う存分つかるぞ。約2時間浸かり風呂上がりに20円のマッサージ機を6回、そしてロキソも効いてきた。疲れもサッパリだ。

帰宅して静かなヴァイブのJAZZを聞いて眠剤飲んで爆睡する。

2024年1月4日木曜日

竜と志賀高原

今、二泊三日の息子と2人で行った志賀高原の帰りの電車でこれを書いている。長野発名古屋着の特急しなの。名古屋から俺は京都、竜は新大阪へ。京都でさよならだ。中学にもなると京都にわざわざ俺に会いにくるより友達と遊ぶほうを選ぶだろう。京都にも来なくなった。会えるのは冬のスノーボードの時だけになったがそれは仕方ない。それでも、こうやって二泊三日で過ごす志賀高原の時間は俺は楽しかったし、父親の気持ちにさせてくれてありがとうだ。あいつが暇さえあればスマホばかり見てるその姿を見てるだけでイライラする。一緒にご飯を食べたが好き嫌いはまあまあ激しい。それだけでむかつく。

それでもこの三日間は楽しく過ごす事にした。注意してその日から直るなんてありえない。それよりオモロイ魅力ある父親を選んだ。説教など一切なしだ。ただ、空手とサッカーをしているおかげか他人への挨拶だけはしっかりしていた。それでよしだ。

それより、俺と竜をつないてくれているスノーボードに感謝だ。リフト乗り降りする際に係員さんにへの挨拶をしろとは言わず俺が「ありがとう!」と言う。それを彼も少し真似している。ゴンドラ乗る時、ボードの雪を払うこともしていたし、ヨシヨシだ。今回は竜とコース脇に残されたパウダーを攻める遊びを教えたら竜はパウダーの魅力を知り楽しそうにパウダー遊びを覚えて、もう一つスノーボードの魅力を知ったと思う。カービングのテクニックはその次だ。まずは楽しむことが大切だと思う。とにかくスノーボードというカードがあるからこうやって志賀高原にこれたのだ。スノーボードに感謝だ。二日間、怪我なしで終われたので3日目は滑るのをやめた。これで怪我でもしたら来年がなくなる可能性がある。とにかく笑かす事に専念した。教育なんか一ミリもしなかった。本当は俺なりの男道をきっちり教えたいが奴はそんなのはウザイだけだろう。

宿を出る時に、宿の人にお願いしてシャッターを切ってもらった。その際、竜を俺の幼稚な笑いで爆笑させ最高の一枚が撮れた。一緒に過ごしてないがよく似たポーズだ。

もし大学行きたくなれば京都にして欲しい。

2024年1月1日月曜日

初詣は八坂神社

今夜から息子と志賀高原に滑りに行く。それまでは少しでも正月気分にふれたい。初詣を近所の豊国神社か東本願寺か八坂か迷ったが八坂にした。京都に引っ越して一度もお詣りした事ないし。チャリで行くか京阪か。ここは観光気分で京阪にした。人混みの1人になりたい。八坂は雨上がりだったのか、それほど混雑はしてなかったがそれでも八坂神社。お賽銭のとこまで行くのは無理なほどの人だったので遠くから手を合わし数秒だけ心を鎮める。せっかくのお正月やから帰り際におみくじを引いたら驚いた事にまさかの大吉だった。しかも1番と記してある。確か昨年の恵比寿さんも大吉だった。以前は小吉以上は引いた事なかったのに。俺はくじ運は悪いほう。勝率50%の賭けなら負けるほうなのに。2024年、いきなり縁起がええぞ。ヨシヨシだ。

帰りは混雑をさけ七条まで鴨川を歩いて帰り、家の掃除をしたが、どこが綺麗になったかわからん。唯一、掃除機の吸いが悪いから分解したら大きな毛玉がごっそり吸い口にへばりついていた。その毛玉を取り分解した部品を戻すのに何分かかったんやろか。そうこうしてると地震が来た。まあまあ京都でも揺れた。

夜になり志賀高原への旅の準備して家を出る。

竜と久しぶりに会う。

あいつは今、中学1年の冬か。

あの頃の俺は、女子のブルマーの膨らみと部活と銭湯とエロ本しか頭になく反抗期なんか1ミリもなかった。

年の瀬は大黒湯

大晦日の昨日は正月休みに息子の竜望と志賀高原に滑りに行くのでボードの板を取りに行かなアカンので、レンタカー借りて塩屋に帰り7時あたりに京都に着いた。短い一瞬だが塩屋の海を見れてよかった。

この朝は錦市場にバッキーさんが「漬物でも食べて正月過ごし」と漬物をいっぱいくれた。それから塩屋に帰る。時間に押されてたから朝ご飯は京都南インター前のマクドでベーコンレタスバーガーセットドライブスルーやったから夕方には死にそうにお腹が空いていたが、元ANAの今だにFカップオーバーの高身長な梅花女子卒が「寂しい1人の大晦日にこれでも食べとき」と炊き込みご飯と野菜5品入りの自然派弁当を渡してくれたので、帰宅してノンアルビールで大阪テレビの演歌見ながら「あのFカップのオッパイはどれくらい柔らかいんやろか。絶対触らへんからブラジャー姿だけでも見たいのに」と思いながらこの一年を振り返ってみたが、結局「コロナが終わり人の往来が以前に戻り、外人さんも来てくれ売り上げは伸びた」これに尽きる。と結局を出し、では来年の目標はと考えたが俺のよくわからん哲学で、飲食店の売り上げを伸ばすには「自分の舌を信じてやっていこう、結果は後からついてくる」なのでそれでは少し曖昧すぎるから数値目標でと思い1.5倍伸ばそうにした。これはなかなか難しいと思う。

大阪テレビの演歌も飽きてきた。

やはり、年の最後は銭湯やなな気分になり七条の大黒湯かいつもの宮川町の大黒湯か迷ったが宮川町の大黒湯にしチャリ飛ばして宮川町へ。着いたのは9時半あたり。さあ、今日はたっぷりいつもの銭湯を、京都の花街にあるレトロ銭湯を大晦日に浸かるという贅沢を楽しもう。大黒湯へ行くとまあまあ人がおった。女将さんは「今日は旅行者や」2時間銭湯に浸かり20円の昭和マッサージ機で何度もモミモミした。

銭湯を上がり大黒湯を出ると激しい雨だった。

俺には関係ないが、初詣の神社は売り上げ下がるなぁと思いながらチャリをこぎながら川端下り正面橋渡ったあたりで暗い東山から除夜の鐘が一発低いゴーンが聞こえた。

新しい年になった。