先日、山科の大好きな鮨屋の大将がお店に来てくれたと浴衣美人に言うと「じゃクリスマスは大将の鮨屋に」となり、この休みは山科の鮨屋さんに行く。その前にプレゼント買って丹波口の「華の湯」でゆっくりサウナ入って温泉浸かって1週間の疲れをいやす。いろいろ重なり気持ちも財布も元気ない。それを察知している浴衣美人が出雲大社に行って御守りをくれた。少し重たい鉄製の小さな御守り。俺はそれをくれた時、嬉しくて少し涙を出してしまった。その鉄製の御守りを触りながら。そしたら不思議なことが起きた。
簡単に言うと俺はもう一軒、餃子屋を作るという目標があり、それにはまずは1人、まずは1人右腕がいる。その右腕がなかなか見つからない。それは俺のなにかが悪いのか、ただ、その出会いがないだけなのか。それを自問するとうまくは言えないが、自分を責める俺と、もし俺が悪いと思っても俺は間違えていないと、俺を自分で擁護する俺が重なる。しかも60にもなると、あの小さなお店の売り上げでは満足出来る生活は出来ない。それにそれを野望と言うならば、俺にもまだまだ野望がある。まだ人生は始まっていない。これからやと本気で思う。毎日、お金も人材もゼロやのに次のお店のアイデアばかり考えている。このままでは終わらせないぞと。
一年ほど前にTという大学生がバイトで来ていたが彼が「僕、卒業する前に一年ほど海外留学したいので行ってきますが卒業したら、泰三さんと働きたい」と言ってNZに行った。そろそろ1年が過ぎようとしていた折、浴衣美人と京都駅地下のカフェ「プロント」で、お茶しながら出雲大社の御守りをくれたその後、浴衣美人の携帯にTからメールがあり「1月からガッツリお店に入りたい」と連絡があった。浴衣美人も俺も目を丸くして「マジか!」と、喜んだり、まだぬか喜びはあかんと言い聞かせたり、とにかく朗報には間違いない。
出雲大社の御守りを手にした瞬間、まだわからないがミラクル的な朗報がやって来たのだ。もちろん人生はそんな御守り一つでいい事が起きるなんて100%ありえない。そんな簡単ではないのだ。人生は。それはただの偶然なのだ。が、御守りを浴衣美人からプレゼントしてもらった瞬間、Tから「働きたい」とメールがくる。まだ本決まりではないが、とりあえず一歩だけ前に進めたのは事実。素直に嬉しい。
浴衣美人がくれた御守りがTを連れてきたのだ。
もし、上手いこといけば
この御守りに恩返しをしなければ。
だから来年60やけど、やらなあかん事がまだまだある。