2024年6月11日火曜日

中山先生

病院に着き早速レントゲンを撮る。レントゲン技師のにいちゃんは俺の足や膝をミリ単位で角度を曲げたり直したりで微妙な位置を探して一枚撮り、次は向きを変え同じく微調整して一枚撮る。俺は何気に「やっぱりレントゲンも奥が深いんですか?」と聞いたら「やってもやってもいい一枚が撮れません。先生にいい一枚を渡したいのですが」なるほど、そうか。餃子を焼くのと同じなんやなと一つ学んだ。簡単そうに見えるがそこにも職人の世界があるんやなと。そう言えば、俺も毎日20数年餃子を焼いているが納得出来る「焼き」は1日に数回しかない。若いレントゲン技師から仕事の深さを学んだ。

中山先生の診察は楽しく前向きな気持ちを与えてくれる。いつも先生は「めちゃめちゃよーなりましたやん!」と言ってくれる。今日はレントゲン見ながら回復以上の回復と、わかりやすい言葉で安心させてくれる。もうそろそろ通院も終わりかと感じたら先生は「僕は年に一度は来て診たい」とのこと。嬉しい。もしかしての右側の膝も悪化する可能性はある。来年の6月に予約した。先生と軽い雑談しながら俺は以前から一つ聞きたかった事を質問した。それは診てくれてる先生に別の先生に紹介状を書いて先生はどんな気持ちになるんですか、と。

中山先生はこう教えてくれた。もし、それで診てくれてる先生の機嫌が悪くなったらもう新しい医者を見つけた方がいいと。その医者は患者よりプライドが勝ってます。それはあきません。患者は医者を選ぶ権利がある。どんな病気でも納得して治療しないといけないと。私は気持ちよく紹介状を書きますと。私もいろんな患者さんから病気を学びたいと。膝に関しては遠慮なく新大阪の回生の整形の中山と言ってくださいと。そう言えば、俺は1番最初に中山手の大森先生が膝の異変を見つけてくれて神戸大学病院の黒坂教授から兵庫医大の吉矢先生、それから中山先生と、みんな先生が先生を紹介してくれて今がある。

今日の午前中、丹波の手打ちそばも塩屋ビーチで頭からっぽビールもなかったがレントゲン技師のにいちゃんと中山先生から大切な学びを得る事が出来た。

新大阪の回生病院へ膝の定期検診に行く その1

朝、カーテン開けたら爽やかな太陽で気持ちいい。鴨川も静かに流れている。早速、洗濯機を回し掃除機のコンセントを差した。

休みの火曜の快晴は嬉しいけど、こんな日に限って朝から病院へ行かなあかん。病院ちゃうかったらレンタカー借りて丹波あたりの手打ち蕎麦食いに行くとか塩屋に帰り誰もいない家の下の砂浜で波の音を聞きながら缶ビールとカメラと文庫本だけで頭からっぽにしたいが、今日は朝から病院。諦める事にする。それにそもそも病院はきらいではないし、病院で診察をジーッと待ってる時間はゆっくり読書は出来るし音楽はかかってないし、待合の椅子に座り静かに自分の時間を過ごす。ゆっくり出来る。

今日の診察は午前中に全てが終わるが出来るならこのまま入院しても構わない。これまでの人生で何回入院したかわからん。若い時、キャバクラにはまってた時、俺はキャバ嬢が看護師と聞くとどんなキャバ嬢でも心の底から大切に優しくイチヤイチヤしていた。オッパイでかい看護師とお尻がムチムチな看護師たまらん。方言きつい看護師、結婚したい。なんなら家の中でも看護師の服で家事してくれ。

今日は病院やから昨夜はお酒を抜いた。

CTかMRIかレントゲンかわからんけど、どれかある。久しぶりに山中先生にも会える。

病院に、入る前にタリーズで軽いモーニングを食べた。

2024年6月4日火曜日

センター街

麺屋から歩いてセンター街にあるヤマダ電機へ向かう。トーアロードを海側へ行き横断歩道を渡ればセンター街に、正式に言うと元町からセンター街はあるが一般的にはトーアロードから入るセンター街がセンター街と認識されている。神戸一の商店街だ。地下は食堂街、2階はアニメのおたくの聖地がありブティックが並んでいるが、生田神社から下がって入るセンター街から東へ歩きフラワーロードまでがメインロードだ。ヤマダ電機は塩屋の家のコンポを買いに行く。Bluetoothを飛ばせる3万くらいのコンポを探しに。俺は時代遅れなのか音楽を家で聞く時はCDだけで聞いていた。スマホで音楽を取り入れ無限に好きな音楽をBluetoothで飛ばして聞く技をつい先日知った。これは便利過ぎる。そりゃもうCDは売れへんわ。

ヤマダ電機に向かい久しぶりに昼下がりのセンター街を歩いた。そうすると高校時代の思い出が自然とよみがえる。

ここ、三ノ宮のセンター街は俺の青春の全てだった。高校生になり高一の夏休みあたりから毎日ここに来て遊んでいた。地下にはめっちゃ美味い天丼屋とカツ丼屋があり、それを食べてはレゲエが流れている喫茶「やまもと」でアイスコーヒーを飲みながら神戸の女子校ナンバーワンの松蔭と山手の遊び人が放課後集まり毎日同じメンバーと遊んで、大人の入り口の遊びの全てをセンター街で覚えた。喫茶「やまもと」に毎日行ってたがこれは金が続かんとなり俺は「やまもと」でバイトし始めてアイスコーヒーを作るようになった。俺は暴力とは正反対の不良ではない不良だった。この街でディスコと若い恋と喫茶店と洋食や中華を覚えて、それが今は財産となり今の俺の基本はセンター街で学んだ。だから久しぶりにセンター街を歩いたけど、もうひと昔もふた昔も過去の思い出が詰まったあの頃がどうしても頭をよぎる。昼過ぎに人が行き交い、天丼から溢れる太陽の光はあの頃と何も変わらないセンター街の時間が流れていた。

ヤマダ電機でコンポを買い、小腹が空いたのでふとお好み焼きが食べたくなり「はくさん」でオムそばを食べて塩屋に帰った。

連休 その2

1時過ぎに塩屋駅に着いた。なんでもない駅だがこの駅すら我が家だ。ホッとする。そのまま海沿いの国道を歩き帰宅し、シャワー浴びてテラスで久しぶりにボンベイサファイアのジンリッキーを飲む。おれ、渋い。

このところ少しでも飲むと次の朝、シャキッとしない。酒が残る。酒の楽しみは深いが飲まない朝の爽快感の方が好きだ。案の定、目覚めは悪かった。それでも11時には元町駅に着いてみなと銀行ATMで記帳し、麺屋に支払いしに行くが目的は麺屋の会長に会いに行き会長の顔が見たい。会長は今年で85になるが、今日3年ぶりに会ったが相変わらず元気いっぱいで会えてよかったわ。商売の話半分、エロ話し半分。会長85でエロ話しで親交を深める57の餃子屋のおっさん。男どうしはいつまでもこうやってエロ話しで親交を深めるのだ。また会長の奥さんがベッピンさんで羨ましい。会長に「毎晩、あんな可愛い奥さんとご飯食べれて幸せやね」と言うと「あっちはアカンからな」なんて洒落たおっさんやねん。85やで。背筋もビシッとして明るく声も渋い。麺屋さんは火曜が休みやから、こうやって月曜日を休みにしないと会長に会えないからもう次にいつ会えるかわからない。だからせっかくやから一枚写真を撮ってもらった。俺は思い切って肩をくんでみた。そしたら会長も、俺の肩に手をまわしてギュッと力を入れてくれた。

いつまでも大切にしたい一枚になった。

2024年6月3日月曜日

連休 その1

この月曜日、バイトが8人いるにもかかわらず誰も入れなくお店を休む事になった。売り上げが無くなるのは残念だが、正直めっちゃ嬉しい。2日も連続休めると思うとワクワクする。とりあえず塩屋に帰ろう。少し疲れた。そしてゆっくりしよう。そう思うと今すぐ塩屋に帰りたい。神戸に帰ればそれはそれでせなアカン事が山盛りあるが、せなアカン10個のうち4個まで出来たらよしとし、まあ時間を気にせずゆっくりするとしよう。そのせなアカン事の3個は元町の麺屋さんに支払いと塩屋の家のコンポがお陀仏になったのでセンター街のヤマダ電機に行く。それと記帳。

日曜日は4時に祇園の銭湯仲間のラウンジママ2名の予約あったから少し早めにお店を開け、お客さん海外7割といつもと変わらない夜だった。後片付けが終わったのが11時前。タクシーで京都駅、コンビニでハイボール買い最終電車に飛び乗る。塩屋に帰り2泊。さよなら京都。

京都の家を2日空けるので、ベランダの植木は毎日お水をたっぷりあげないと枯れてしまう季節に入ったから、風呂に薄く水をはりそこに植木を置いて水分補給だ。自分の不注意で何回大切な植木を枯らしたか。自分の不注意で植木を枯らすと不吉な予感を感じる。幽霊が出そう。