2022年7月2日土曜日

猛暑その2

昨夜もサッパリだった。
もうさっさと閉店して大黒湯にでもと後片付けし始めたらFさんがツケを支払いに来て一杯付き合いシャッター下ろしたのはいつもと同じ時間。

大黒湯へ。

大黒湯もサッパリの様子。

今朝も豊国楼へ。

今夜もどうやろ。売り上げこそパワーの源。
美味しい餃子を作る以外売り上げアップはない。

2022年7月1日金曜日

猛暑

どうやら今年の夏は記録的な猛暑になるのは確定した。空梅雨やったし、予報によると今日の京都は40度近くに上がるという。昨夜も大黒湯に行ったらガラガラやった。番台の女将さんも「サッパリや。仕出し屋さんも出前もおまへんと言ってたわ」と。おまけにお店もクーラーがマックス下げても効かへん。餃子の焼き台からの熱があるからだ。これだけはどうしょうもない。9月末まで続く。長い夏が始まった。

1枚目 昨日、膝の関係で足の筋肉が弱くなっているので早朝に近くの山に登った。往復1時間の山登り。豊臣秀吉の墓まで登る。墓から見える京都の景色が気持ちいい。眼下には清水寺。

2枚目 これだけ暑くなると身体に溜まる疲れが重たい。だからこそ仕事終わりの銭湯がたまらない。昨夜は宮川町で舞妓さんや芸妓さんが行き交うのを見させてもらった。風情があり夜の京都を実感する。迎えのタクシーまで見送る舞妓さん。「おーきに」と。大変な仕事やと思う。芸は磨かなあかんし、お客さんと乾杯もせなあかん。大黒湯の女将さんも舞妓さんもかなり減り最近は数名しかこーへんとなげいていた。大変なんやろな。

3枚目 ベランダで育てている桔梗に花が咲き始めた。

4枚目 先日、塩屋に帰る。最終電車で帰り朝の10時には家を出て京都に戻った。いろいろ悩み事かある。出来ない事も、足りないものも、叶わない望みもある。それでもこうやって素敵な家があるやないか。幸せと思えば幸せよ。感謝の気持ちさえあれば大丈夫と思おう。

2022年6月9日木曜日

海のある暮らし

退院して予定通り木曜日まで塩屋で過ごした。月曜日に退院して火曜日は散髪して垂水のイタリアンでパスタ食べて家で夕方からスパーク空けて大人の午後を過ごして、水曜日は地元の郵便局行ったり塩屋の立ち飲み屋で、声がセクシーなFカップ元宝塚の浴衣クイーンと、その立ち飲み屋のママさんが博多のエキゾチック美人さんと3人で飲んだり須磨の焼き鳥屋で寺夫妻と浴衣クイーンと飲んだりしてゆっくり過ごた。梅雨前の最後の晴れにも恵まれ大満足の休養だった。

今日は昼前に京都に向かう段取りで簡単に掃除したが、あまりにもいい天気だった。帰りたくないなぁと思った。テラスから青い海と白い雲のバランスが静かに佇んでいる。ベランダに出て、まあ、いいかと缶ビールを飲み干した。冷たいまま一気に飲みたい。せっかくだから30分だけなにもしない時間を作ろう。椅子に座り海を見る。部屋の向こうに一枚のキャンバスがあった。その側にはアクリル絵の具がならべてあったので、なんのアイデアもなく白いキャンバスに絵の具を走らせた。描いているうちに楽しくなってきた。転がっていた竹箸を割ってそれを筆にしたり箸に絵の具をつけてキャンバスに彩りを加えていった。

この退院後の休養に区切りをつける記念の一枚の絵ができた。30分で。

大切にしよう。

1枚目  夏の漁港はいきいきとしている。駅から家に帰る道中に漁港を通るコースがある。時間がある時は漁港を歩いて帰る。漁港を抜け、ジャリ浜を少し歩けば家に着く。


2枚目  ベランダから海を見て描いた。題名は「かげろう」にする。

3枚目  竹箸を割っただけの筆。楽しい!


4枚目  さあ、京都へ帰るぞと。

2022年6月6日月曜日

今朝、退院した。

確か2015年の夏の始まりに右膝に痛みが始まりお店の近くの大森整形外科に診てもらったら大森先生がこれは少しおかしいぞとピンと思い、母の知り合いの神戸大学医学部病院の当時の黒坂教授に見てもらい原因がわからず一年間ほど通っていた。そのうち左膝も痛くなりだし杖なしでは歩行することも困難になりドクターがオペしようとなり治療に半年は仕事できないと言われ当時していたトーアロードの物件を解約し入院する準備をしていた矢先、ドクターがやっぱりオペは少し辞めとことなり慌てて物件探して見つかったのが元町駅前のお店。その頃にはかかりつけのドクターは黒坂教授から兵庫医大の吉矢教授に定期的に診てもらってた。それから吉矢教授は西宮の回生病院に移転され僕も兵庫医大から西宮回生病院に変わりやはり定期的に診ていただいた。2022年の冬あたりから左膝の痛みが耐えられなくなり吉矢先生から中山先生にバトンタッチし原因はX脚やから砕けた膝の骨を除去しその裏の骨を移植しX脚を治す骨切り術をしたのが去年の6月。今回はその骨切りの際にプレートを骨にはめてたのでそれを外した。これでとりあえず長かったこの病気の治療が全て終わった。

これからのステップは足に筋肉つけ鴨川を軽快にジョギングしたい。その次は豊国廊の階段を駆け上がるぞと。

不思議なもんで、スーパー痛かった膝の痛みも治療が終わればその痛みも思い出せない。喉元過ぎればなんちゃらやな。思い返せば、この病で泣いた夜もあった。でも全ては神様が与えてくれた試練。いい経験だった。この骨壊死のおかげで出会った人が山盛りいてる。それがあったから今がある。

この歳になって思う。

僕を作ってくれたお父さん、お母さん、ありがとう。

お母さんに会いたい。

2022年6月5日日曜日

理学療法士の話

今日、昼前に30分ほどの簡単なリハビリを受けた。リハビリは理学療法士の免許を得た人が施術してくれる。国家試験を持った人しか施術できない。去年、入院している時は何人のもの理学療法士の人がリハビリのサポートしてくれた。若い人が多かった。

退院は明日になったので、今日なんかリハビリしてもなんの意味もないがスケジュールだったので、ハイハイと受けた。担当は僕と同じくらいか、やや年下のおっさんだった。おっさんの理学療法士は珍しいなと思ってたし、黙って施術受けるのもなんだか空気が悪いから軽い世間話をしながら受けた。話の流れから僕からこう話しかけた。

「もう、長いん?この仕事」
「いえ、9年目です」
「え、にいちゃんいくつなん?」
「52です。40の時に母の介護が始まり当初は僕、無職でしたが母の介護をしてる時、これなら俺が覚えたほうがいいと思い介護しながら育英でお金借りて3年専門通って免許取りました」
「え、40から?凄いな、それまではなにしとったん?」
「一攫千金狙ったようなチンピラみたいな男でした」
「へー、人生わからんもんやなー」
「ほんま、そう思います。おかげで40過ぎてから結婚出来て子供も授かりました。贅沢は出来ませんがこれで充分生きていけます。以前のその日暮しのあの頃から想像できませんわ。母は2年前に亡くなりましたが母には感謝しきれません」

「この仕事は、患者さんの身体はよくなるしいろんな話をいろんな人と出来るし毎日幸せですわ」

学歴やら、収入やらとは離れた所にも幸せがある。

話しかけてよかった。