昨日の休みは高雄の床で川の流れるせせらぎを聞きながら昼ごはんして夏の京都を楽しみ丹波口の壬生の湯で6時までサウナ入りまくり夜は大黒湯の風呂仲間の先輩がしている居酒屋で、天ぷらとメガハイボール飲んで河原町のユーミンしか流れないBARで締めくくりました。24時には水シャワーして睡眠に入る。早起きしたので家から往復1時間の豊臣秀吉の墓まで行ってきた。
長袖のトレーナー着てどっさり汗をかく。そうすれば一日中おっさん臭い汗はなくサラサラの肌をキープ出来るわけだ。行く前はさすがにためらうが、たった1時間と言い聞かせ思い切って飛び出す。その墓までのキツイ階段がかなりの急勾配でハアハアと息切れする。墓まで行き少し歩くとその山からは清水寺や御所を見下ろし絶景なのだ。しかし汗をかいているからじっとしていると蚊に刺されるから写真を撮りすぐに下山する。
家に帰り洗濯機に汗だくの服を掘り込み、回して水シャワー浴びてヨーグルトとパイナップルとトースト焼いて朝ごはんだ。
さあ、また今日から1週間が始まる。
どんな出会いがあるのだろう。
明日は朝いちに散髪た。
2023年7月12日水曜日
2023年7月10日月曜日
僕の桔梗
やっと1週間が終わる。梅雨で晴天がないぶん過ごしやすい。今年はエルニーニョだから、どうなるんだろう。若い頃はレゲエ聴いたり、ジントニックやワインクーラーやコパトーンや須磨だった。あの頃は須磨の海の家も、端から端まで人だらけだったが今は須磨の駅から見えるのは2軒のみだ。小麦色の肌なんかなんの魅力もない。時代やね。気がつけば今年は56歳の夏。たくさん餃子を焼いて、忙しい夏になって欲しい。まずは健康的第一だ。味覚を大切にし、美味しい餃子をつくる。それだけでいい。そして僕の味に賛同してくれる人に出会いたい。運は掴みに行くのか、巡り合いなのかわからない。人生は出会いにつきる。
我が家の桔梗も最盛期。もしかして20年の付き合いになる桔梗。花の色は変わらないが毎年、桔梗の背丈が高くなってきた。そして強くなっている。ただ水を与えているだけやのに。一人暮らしだが、この桔梗はもはや心の友だ。道中している。
毎朝、水を与えて、行ってきますと唱える。今の生活環境はワンコを飼えないから、桔梗がワンコの代わりやね。
ふと、思った。桔梗もいいがやはりいつかラブラドールを飼いたいな。
我が家の桔梗も最盛期。もしかして20年の付き合いになる桔梗。花の色は変わらないが毎年、桔梗の背丈が高くなってきた。そして強くなっている。ただ水を与えているだけやのに。一人暮らしだが、この桔梗はもはや心の友だ。道中している。
毎朝、水を与えて、行ってきますと唱える。今の生活環境はワンコを飼えないから、桔梗がワンコの代わりやね。
ふと、思った。桔梗もいいがやはりいつかラブラドールを飼いたいな。
2023年7月8日土曜日
初夏の広隆寺
拝観料を納めご本尊の弥勒菩薩へと近づく。ご本尊のある講堂までのアプローチは静かな新緑が心をゆっくりとさせてくれる。小さな池には蓮が、苔に覆われた庭が美しい。よく見ると苔にもたくさんの種類がある。苔は心を落ち着かされるのはなぜだろう。その苔庭には立派な桔梗を見ることが出来た。薄い紫色の桔梗の花。俺も自宅のベランダに桔梗を育てているので桔梗には親近感がある。桔梗は花が咲いてこそ桔梗。まだ蝉は鳴いていない初夏の広隆寺。さあ、もうすぐ弥勒菩薩に会える。そのご本尊がある講堂へ一歩すすめた。
講堂に入ると、そこには無数の仏像たちが僕を迎えてくれた。不動明王、不空羂索観音、千手観音、阿弥陀如来、地獄菩薩…
巨大な仏像から小さな仏像まで拝観者を睨んでるようにこっちを見ている。にらんでいる。俺の心をにらんでいる。お前の心など全てお見通しだとにらんでいる。不思議とそれが心地よいのはなぜだ。そしてその仏像たちのど真ん中に弥勒菩薩を見受けられた。その一体は特別な光が当てられ弥勒菩薩を見た瞬間から視線を移すことは出来なかった。弥勒菩薩像はやや遠くに置かれておりその顔の表情は漠然としか見ることは出来ないから余計にずーっと見てしまう。微笑んでいるようであり、なにか瞑想にふけているようにもお見受けする。僕は弥勒菩薩像に圧倒され終始、その像に話すことはなかった。ただ眺めているだけだった。
講堂から出ると新緑の庭が広がる。
講堂内は撮影禁止だったが広隆寺の入口に弥勒菩薩のポスターがあったので、せめてそれだけでもと一枚撮った。小学生の頃、仏像にはまっていたがもう一度、仏像を巡ってみよう。いつか興福寺の阿修羅像にも会いに行きたくなった。
河原町に着いたのは12時過ぎ。90分の京の寺を巡る旅。京都に住んでよかった。
講堂に入ると、そこには無数の仏像たちが僕を迎えてくれた。不動明王、不空羂索観音、千手観音、阿弥陀如来、地獄菩薩…
巨大な仏像から小さな仏像まで拝観者を睨んでるようにこっちを見ている。にらんでいる。俺の心をにらんでいる。お前の心など全てお見通しだとにらんでいる。不思議とそれが心地よいのはなぜだ。そしてその仏像たちのど真ん中に弥勒菩薩を見受けられた。その一体は特別な光が当てられ弥勒菩薩を見た瞬間から視線を移すことは出来なかった。弥勒菩薩像はやや遠くに置かれておりその顔の表情は漠然としか見ることは出来ないから余計にずーっと見てしまう。微笑んでいるようであり、なにか瞑想にふけているようにもお見受けする。僕は弥勒菩薩像に圧倒され終始、その像に話すことはなかった。ただ眺めているだけだった。
講堂から出ると新緑の庭が広がる。
講堂内は撮影禁止だったが広隆寺の入口に弥勒菩薩のポスターがあったので、せめてそれだけでもと一枚撮った。小学生の頃、仏像にはまっていたがもう一度、仏像を巡ってみよう。いつか興福寺の阿修羅像にも会いに行きたくなった。
河原町に着いたのは12時過ぎ。90分の京の寺を巡る旅。京都に住んでよかった。
2023年7月5日水曜日
弥勒菩薩半跏思惟像
広隆寺に行くためいつもより2時間ほど早く河原町のお店に着きカバンを置き阪急河原町から西院へ。それから嵐電西院駅へ。阪急西院駅は地下にあり、階段を登り地上へと出ると目の前に教会が目に入る。西院カトリック教会と書いてあった。そしてその教会からすぐに大きな踏切が目に入る。その踏切の並びに小さなプラットフォームがあり、それが嵐電だとわかった。広隆寺までの道中は、普段の四条河原町の街中で流れる雑多な人混みや交差する車の喧騒とは逆の、柔らかい生活の暮らしが目の前にありゆっくりした時間が流れている。そんな街中に走っている路面電車で吊り革につかまっている俺。もうすっかり旅人気分になっている俺。
京都の懐の深さにうなずいていたら広隆寺駅に着いた。広隆寺駅の目の前に巨大な門が。そしてその広隆寺駅の真横にお蕎麦屋さんがあって、ちょうどお店のおばさんが暖簾をかけようとしていた。朝からなにも食べていなかったので、そのおばさんが暖簾を掛けるシーンを見ただけでこれもご縁と思いふらりと蕎麦屋に入ってしまう。広隆寺駅前の蕎麦屋とはなかなか洒落ているじゃないか。さすが映画村のある街やから店内には役者のサインでいっぱいだった。僕は九条ねぎホルモンうどんをいただいた。出汁まで飲み干し、これでゆっくり初広隆寺を楽しむ。よしよしだ。山門には厳しい仁王像が迎えてくれる。東大寺を思い出した。門をくぐり寺へと入る。
初めて訪れる広隆寺の境内は思いのほか静かで広く平日の午前中のせいか参拝客はまばらで、ほぼ誰もいなかった。門から離れたところに大きな講堂がある。静寂な時間がゆっくりと流れ、その寺の様は少し奈良の法隆寺と似たように感じられる。お目当ての弥勒菩薩はどこなんだ。ゆっくり進むと入館料を払う小屋があり800円を支払う。日傘をさしたご婦人が、参拝を終えすれ違う。
静かに弥勒菩薩への期待がふくらむ。
京都の懐の深さにうなずいていたら広隆寺駅に着いた。広隆寺駅の目の前に巨大な門が。そしてその広隆寺駅の真横にお蕎麦屋さんがあって、ちょうどお店のおばさんが暖簾をかけようとしていた。朝からなにも食べていなかったので、そのおばさんが暖簾を掛けるシーンを見ただけでこれもご縁と思いふらりと蕎麦屋に入ってしまう。広隆寺駅前の蕎麦屋とはなかなか洒落ているじゃないか。さすが映画村のある街やから店内には役者のサインでいっぱいだった。僕は九条ねぎホルモンうどんをいただいた。出汁まで飲み干し、これでゆっくり初広隆寺を楽しむ。よしよしだ。山門には厳しい仁王像が迎えてくれる。東大寺を思い出した。門をくぐり寺へと入る。
初めて訪れる広隆寺の境内は思いのほか静かで広く平日の午前中のせいか参拝客はまばらで、ほぼ誰もいなかった。門から離れたところに大きな講堂がある。静寂な時間がゆっくりと流れ、その寺の様は少し奈良の法隆寺と似たように感じられる。お目当ての弥勒菩薩はどこなんだ。ゆっくり進むと入館料を払う小屋があり800円を支払う。日傘をさしたご婦人が、参拝を終えすれ違う。
静かに弥勒菩薩への期待がふくらむ。
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