2024年8月29日木曜日

台風10号 その6 連休の1人打ち上げ

モーニングを済ませ帰宅し、ヨシ!と断捨離を開始した。ゴミ袋45L満タン。なんとなく綺麗になった。この連休にしたい事が一つあった。それは3時あたりの昼下がりに銭湯に行く。湯船につかり天井から差し込む太陽と湯煙りが交差する白い蒸気が見たい。時間を気にせず頭をからっぽにしたい。大黒か梅湯か悩んだが近所の梅湯にした。風呂上がりにビール飲もかと思ったが我慢した。今夜は大黒湯の風呂仲間の居酒屋「櫻バー」ここで本日の一杯目の美味いビールを飲み干したい。

梅湯を出て京都駅前のヨドバシに。本屋に行ってあてもなく本屋をうろつく時間が大好きだ。自己啓発、料理、京都本、流行りの本。2時間なんかあっという間に過ぎる。一冊も買わずに本屋を出た。さあ、櫻バーで1人宴会だ。櫻バーに電話入れたら余裕で大丈夫だと。節約して家でご飯作ろかと思ったが、もう自分が使った皿を自分で洗うと思うと即却下。

京都、清水五条、銭湯仲間の居酒屋で酒を飲む。

家から鴨川を歩いて五条まで。台風が少しずつ近づいている。街は静かだった。

2024年8月28日水曜日

台風10号 その5 断捨離

昨夜はサッポロ一番みそラーメンを食べ、そのまま寝てもた。たったビールと冷酒2杯と先輩の家でワイン少し飲んだだけで翌朝に酒が残る。今日は休むから9時過ぎにベッドから抜け出し洗濯回して近所の喫茶店でモーニングしに行く。溜まった新聞持って。

休日の朝、近所の喫茶店でモーニングと新聞。極楽のような時間。

今日は断捨離するが、断捨離関係の雑誌が数冊ある。

台風10号 その4 居酒屋「静」

浜で肌を焼き村上龍の大好きなショートストーリーを読み部屋に戻る。少し絵を描き7時を過ぎる頃、塩屋の家を後にした。駅前の居酒屋「静」で晩御飯。ママさんは藤圭子似で料理が上手く冷酒も美味しい。ママさんの1番の魅力はハスキーな声だ。神戸の西の外れの小さな漁師町の駅前の居酒屋の藤圭子似のママ。これだけでオッサンはつい足が向く。

ビールと冷酒2杯とアテ2皿。酔う。

それから高校時代の一つ先輩が塩屋に住んでるんで会いに行く。先輩は当時からかっこよく芸術で生きている。

最終電車で京都に帰る。京都駅に着いて小腹が空いていた。第一旭でラーメン食べよとラーメン屋まで行ったが20人ほどの行列。

家に帰り、サッポロ一番みそラーメンを食べた。

2024年8月27日火曜日

台風10号 その3 塩屋浜

あれからJRに乗り元町から地元の塩屋へ帰る。今日は塩屋に帰りベランダにある小物をテラスに避難させるために帰ってきた。台風で近隣に迷惑をかけたくない。だから小物をテラスに。

帰宅してサッサと片付けたら15分で終わったから、そのまま浜に行き文庫本と携帯を手にしてタオル広げて好きな時間を過ごそう。時計を見るとまだ2時過ぎ。さあ、時を忘れ自由に過ごそう。部屋の音楽はかけっぱなしにして浜に出た。いーなぁ。夏は。

さすがに台風前夜か波は荒く、浜には誰もいない。沖を見ると入道雲がモクモクと形を変えていく。ただ、それだけを見ているだけで残り少ない夏を感じる。

2024.8.27

塩屋浜にて。

台風10号 その2 別館牡丹園

新快速に乗り神戸へ。台風がきよる平日にもかかわらず京都は旅行者でごった返していた。神戸に帰る道中は福田和子の獄中手記を読んでいたが気分が重たくなり尼崎を通過したあたりで本を閉じた。元町駅に着いてお楽しみの昼ごはんはどこにしよう。元町駅南スグの「金時食堂」か、NHK西の「良友酒家」か、元町3丁目の広東中華「香美園」かトンカツの「とんかつ太郎」か別館牡丹園。3丁目まで歩くのは少し遠い。せっかく神戸に帰ったんやからここは、別館のハードの焼きそばで神戸の味を味わおう。神戸の洒落た遊び人は「別館」と言えば牡丹園をさす。別館の大将はおるんかいなと思いドアを開けた。

別館に入るとレジ前に必ず女将さんが鎮座している。女将さんが俺を見るなり「あらー帰ってきたん」と迎えてくれ「焼きそば、食べにきたんよ。そこ座るわ」とテーブルに座り「五目焼きそばのハード」を頼んだ。焼きそばが来るまでスマホでも触ってと思った瞬間「お前、今帰って来たんか」と大将が俺の対面にドンと座り、焼きそばを食べ終わるまでずーっと話しをして幸せな時間を過ごす事が出来た。なぜ幸せな時間だったかを書こう。

それは、やはり別館と言えば神戸広東中華の要であり別館以上はなく全てにおいて揺るぎないなにかが別館にある。昔、大将からこんな話しを聞いた。「泰三君、俺は親父が作った味を変えない。これと戦っているんや。味を変えないのもなかなか大変やで。つい色気が出てまうからな」と教えてくれた。そしてこう言った。うちの店に新しい味を求めてくる人はおらんのや。

この話しは100%ではないと思う。大将も絶対チャレンジしてきたのも知ってるし3代目も、やはりチャレンジし続けているのも背中でわかるが、先代が作った味に最高の尊敬と感謝を絶対忘れたらアカンのや、という哲学を言っているのだ。その哲学があまりにもかっこいい。それを熱く語る大将が大好きだ。ここで一つ俺の自慢話を言うと、随分と昔の話になるが俺は元町おる時にメニューに焼飯があった。それを知ってた大将は、俺が別館に行った時「お前だけに炒飯の作り方教えたるわ」と言い放ち「厨房に入れ。別館の厨房に他人を入れるん、お前だけや」と言って俺は天にも昇る気持ちで厨房に入ると3代目が「うちはこないして作るんです」と全ての過程を見せてくれた。

「お前、味見して美味いやつを出しとるやろ。そやからアカンねん。味見して薄い、それでGOや。0.7の味で仕上げ、焼飯を食べ終わった時点で1にするんや」

こんな俺みたいな小僧になんで、こないにしてくれるか。それは大将が俺のオカンに恩があるからやと思う。俺の母は別館が大好きだった。母は2代目を大切にしていた。その恩を返す、そんな律儀な大将が大好きだ。

今日の大将の教えは「泰三よ、安売りは絶対したらあかんぞ。もっと自信持って価格をつけろ」俺はその意味を食べ終わってからいろいろ考えた。いろいろ考えた結果2つの意味があることがわかったよ。

一つは「神戸の味を安売りすな」という神戸愛と、お金をもらうんやからちゃんと仕事せいよ。この2つが見えてきた。

五目焼きそばを食べ、今日はありがとうございましたと伝え俺は大将に「大将、写真撮ろう」とお願いしたら、よっしゃと一枚撮った。

仲良く並んで撮った一枚だが、俺の左肩は緊張しているのがわかるだろか。

台風10号 その1

今週は水曜日も休みにするので連休になる。たとえ台風が来ようが嬉しい。気持ちが、仕事から全て解放されやれやれだ。9時に散髪始まり10時に終わり散髪屋の向かいにある大垣書店で一冊の本を書い(仲野徹)さっさと神戸に帰る事にした。

どうやら計画運休は木曜から始まると車内放送があった。とすると、明日は電車は動くから塩屋に泊まるのもありやな。

とりあえず、元町で下車してみなと銀行のATMで記帳して昼ごはんして塩屋に帰りベランダの整理やな。そのために塩屋に帰るから、それさえ終われば自由の身だ。

太平の湯にも行きたいし、家でゆっくりもしたいし。塩屋駅前の居酒屋も行きたい。

2024年8月26日月曜日

台風10号

台風10号はどのコースで上陸するのか気になる。神戸に帰りたいが計画運休で電車が止まると京都には帰れないが塩屋の自宅には帰りたい気持ちが山盛りある。塩屋の家のテラスでワイン飲みながら沖の防波堤にぶつかりドカンと波飛沫が飛び散る。

そうやって何も考えずボーっと海を眺める。その海のパワーを見るとなぜか心が落ち着く。

ところが電車が止まるとどないもこないもやし、京都にいるなら雨の中、銭湯でゆっくり出来る楽しみもある。とりあえずは、明日の朝は京都駅地下の散髪屋でツキイチの予約しているから、それが済んだらそれは、その時だ。

今はお店の前、ファッションビルOPA地下のスタバでアイスコーヒーを飲みながらこれを書いている。若い女子御用達のファッションビルやから、このスタバも若い女子がまあまあいてる。以前の四条河原町のスタバは外人の旅行者で賑わっていたがOPA地下のスタバは外人旅行者は皆無だ。

俺は小学校高学年の頃から57の今、現在までホンマの女好きやからスタバですらつい女に目がいく。最近の女子はなぜあんなにガリガリでブカブカのジーンズにベルトもせずシャツをズボンにインするんだろ。

俺は中学生の頃、河合奈保子と柏原芳恵のムチムチの太ももに、はち切れそうなビキニ姿のパンツの前からの姿のグラビアが好きで、土手の部位にピンク色の夢や希望の全てがあのデルタ地帯に凝縮されていた。それは俺だけではない。みんなそうだった。小さな、本当に小さな涙型のおへその穴すらセクシーだった。

河合奈保子と柏原芳恵、どっちと結婚したいか。

いろんなウワサがあった柏原芳恵より、やはり河合奈保子かな。

先日の朝ご飯。天ざる蕎麦。大好きだ。

2024年8月21日水曜日

その3 太平の湯

2時あたりに部屋に戻り水シャワー浴びて、シーブリーズで体を冷やしクーラーギンギンにして残り少ない夏を、塩屋の夏を体感する。

それからタクシー呼んで太平の湯へ。太平の湯から見える淡路島。夏の夕暮れの明石海峡。入道雲に当たる夕日が美しい。次に太平の湯に来る頃には季節も少しは変わっているだろう。

今夜は垂水駅の居酒屋に行く。

2024年8月20日火曜日

盆明け その2 塩屋浜

疲れが溜まっているから、真っ暗な部屋で目が覚めるまで寝たい。昨夜は寝室の扉を閉じて眠剤掘り込み爆睡した。7時頃に一度トイレに行ったが二度寝し1030に目が覚めた。テラスを見ると晴れている。ヨシヨシだ。それから一風呂入り古い雑誌と(2000年発売のフィガロ)タオル一枚持って浜に行き太陽を浴び、部屋に戻りデニスブラウンの40年前のレゲエ聞いて炭酸水を飲んだ。

浜には見たことないくらいの海藻が流れ着いている。海に入るのはあきらめた。

漁港の先に小さな灯台がある。その背景に見える夏の白い雲。大好きだ。

塩屋に帰る 盆明け その1

仕事が始まった水曜日の、次の日の木曜日には次の休みは塩屋に帰ると決めていた。夏はやはり塩屋に帰り海に浸かりたい。塩屋の浜で燦々と輝く太陽の下でタオル一枚広げてビールを飲みたいと。そんな思いで最終電車に乗っているが神戸駅過ぎたあたりから車窓には雨の水滴が筋を作り始めた。残念でならないがこれだけは仕方ない。そもそも息子の竜に会いたかったが竜に連絡すると「火曜は部活」と寂しラインが一言。これも仕方ない。まあ、それはそれと。思い返せば俺も中2の頃は自分の事と、好きな女と雑誌「popeye」と、部活でいっぱいいっぱいだった。

今週はイタリアのお客さんが何組も来てくれた。俺はイタリアが大好きだ。22か23の頃、2週間かけてイタリアに貧乏旅行した経験がある。ミラノ一泊、ベニス二泊、残りはナポリに滞在し、少しビクビクしながらガラの悪い下町の危険なエリアを覗きに行くのが本当に楽しく毎日のように下町を散策し、ナポリの安いワインを飲みアランチーノばかり食べ、イタリアの下町は俺の好奇心に突き刺さった。港に行くと漁港とヨットハーバーがあって、金もなかったけど全てが楽しかった。

この写真は、ガラの悪い下町に迷い込んで若いチンピラに囲まれた一枚。気がつけば4.5人のチンピラが俺のカメラを首から取り俺は「これは盗まれるな」と堪忍し抵抗する勇気もなくヘラヘラしてこの場から逃げ出したかったがそのチンピラは驚いた事に「一緒に写真を撮ろうぜ」な事を言ってた。奪ったカメラを1人のチンピラがそこに並べと言った。みんなで肩を組もうと言ったと思う。若いチンピラはシャッターが楽しかったのか何枚もシャッターを押した。チンピラは見知らぬ東洋の俺をハグし機関銃のようにイタリア語を喋るがなにを言ってるかもちろんわからないが盛り上がって俺も楽しかった。

久保田早紀の「異邦人」を聞くとナポリの下町がよみがえる。

2024年8月17日土曜日

ローマの家族

昨夜の最後のお客さんはローマから来てくれた楽しい家族だった。

イタリアの家族は明るくて、僕まで楽しい気持ちにさせてくれる。本心なのかお世辞なのかはわからないけど「こんな美味しい餃子は生まれて初めて」だとか食べながら笑顔でウインクをしてくれたり。イタリアにも餃子はあるとスマホでラビオリみたいな写真を見せてくれる。僕は昔イタリアに行ったことがあって、そこはミラノとベネチアとナポリの「ナ」と言いかけた瞬間、家族みんなが「なぜローマじやないの」と大袈裟に両手を広げる。そんなしぐさ一つ一つが可愛いく思う。

いろいろあるけど、こうやって世界中からたった10席しかない京都の四条河原町の裏寺の小さなお店に来てくれ京都の夜を過ごしてくれる。

餃子屋をやっててよかったと思いました。

2024年8月14日水曜日

一週間が始まる

JR塩屋駅から三宮、三宮から阪急に乗り換え十三で京都線に乗り換え京都へ戻る。サントリーの山崎を越すと塩屋で過ごした時間が遠い過去になった。それはいつもの事だが働かなければ。河原町で降りず烏丸で下車した。烏丸に吉野家がある。今日はさっさと牛丼を食べて仕込みしないと。

烏丸駅から階段で地上に上がる。アスファルトに溜まった熱が溶けそうにはねかえり、今日の京都はいつもより暑く感じる。四条通りに行き交う京都市バスを見るとさらに京都を感じる。

いったい俺はなにをしているのだろう。そんな思いがふとよぎる。

四の五の言わず働いてお金を作らなければ。何も考えず仕込みを始める事にした。

夏の塩屋の浜

ボード仲間が集まりワインやビール飲んで料理上手な女子たちがアテを作り夏の午後を過ごした。BBQをするつもりが暑すぎてベランダに出れず肉はキッチンで焼いた。和牛も美味いがスペアリブが美味しく飲みが進む。少し夕刻が近づく頃、浜に行き海につかる。身体を冷やす。気持ちいい。夕刻、西を見ると明石大橋を往来する車のバックの空が薄くオレンジ色に染まりきつい日差しも柔らかくなり、海面と明石大橋とオレンジ色の空のコントラストが美しい。

日が沈んできた。それからみんなで塩屋駅前の居酒屋「静」で飲み直した。

飲み過ぎたので京都に帰る勇気がなくなった。

塩屋に止まることにした。

2024年8月13日火曜日

盆休み

22時45分にシャッターを下ろし四条河原町の交差点に出てタクシーを探した。高島屋前から西に烏丸まで行き左折して京都駅のコース。運良く空室のランプがついたタクシーが俺に気づいた。運転手さんに「京都駅正面」とだけ伝え俺はカバンの中にあるコンパクトカメラを探した。その間、一言も会話せずカメラを探してカバンの底から見つかったがあんまり無言のお客さんも気持ち悪いと思われるのも失礼に当たると思い少しこちらから話しかけることにした。

烏丸から京都駅へ向かう五条あたりからこの時間になると真っ暗な烏丸通の真正面に京都タワーが今夜は薄く赤色に辺りを照らしている。

「運転手さん、僕、この時間の京都タワーが大好きなんですよ」と、何気に話しかけた。するとおそらく60前後のおっさんが「このタワー僕が中学の頃、すでにありましたからね」という。インベーダーが京都で1番最初に来たのが京都タワーでしたからね。しょっちゅう京都タワーに来てましたわ。

それから俺もそのインベーダーの話に飛びつき「僕も大好きでしたよ。あの頃、インベーダー命でしたからね。名古屋打ちとか」運転手さんも名古屋打ちにクリックされ2人で車内爆笑でブロック崩しのゲームの攻略法で、初めて乗った見ず知らずのタクのおっさんと盛り上がり京都駅に着いた。

さあ、塩屋に帰ろう。

明日はスノーボード仲間とBBQだ。短い1日だけの盆休みを楽しみたい。

2024年8月10日土曜日

こうなるとは予想していた

今までの経験から予想すると三連休が始まる金曜日はヒマが多い。だから、今夜もそうかなと思っていたらホンマにそうなった。そんな夜やったのに帰る時間はいつもより遅くなり銭湯はあきらめた。

事実上、今日からお盆が始まるがどうなるのだろうか。

58にもなろうとしている餃子屋のオッサンから笑顔は消えている。

今朝は梅湯が朝から開いているからサクッとサウナ1発ロングで決めて体は爽快に仕上げた。色気を出さず美味い餃子を焼こう。その答えは来年に出てくる。

2024年8月9日金曜日

納税と戦う旅 その1

オリンピックと猛暑でお店はいまいちの売り上げがずーっと続いているから私の顔は覇気のなく笑顔も作り笑いで、どうしょうもないつまらん男に成り下がっていると思う。その上、まあまあ支払い不能の納税額が張り付いた納付書が届きホンマにやばい。納税は絶対免れないから落ち込む余裕などない。これは毎年経験しているけど慣れない。不可能に近いが不可能ではない。ただ完納するまで働く。それ以外ないのだ。なにも考えす、返済する。そんな時の心の支えにしているフレーズがある。それは「you can do」お前なら出来る。めっちゃ節約は出来ないがなるだけ節約しよう。欲しいものは完納してから買おう。ここは我慢、我慢だ。

もうすぐお盆が始まるが、いまいちピンとこない。どうだろう、忙しくなるのだろうか。もちろん忙しくなって欲しい。お金のない身分やのにめっちゃ忙しくならないで欲しいと少し思う。そう思う自分に甘い俺があるからいまいち出世出来ない。

昨夜も大黒湯で一日の疲れを熱い湯で洗い流した。

湯に浸かり、目を閉じ銭湯の音だけを聞くのが大好きだ。流れる湯船の音、女風呂から聞こえる笑い声や桶が当たる音。

古い京都の銭湯が日常にある暮らし。

俺は幸せやと思う。