かと言って、愚痴は不満を並べてもよけいに暗い気持ちになるだけなのでやっぱり唯一、外の新鮮な空気を吸えるのは気持ちいい。社会の音が聞こえる屋上に行く。雲を眺める。風を感じる。マスクを外せる。今は働いていないから時間は見なくてもいい。
雲をじっと眺めていると、雲の形は全く変化はないが気がつけばさっきの雲はもう新しい形になっている。そして過ぎ去った雲を見る事はもうそこは過去でありさっきの雲を見る事は不可能だが、今、これから現れる雲は見る事は、この場を立ち去らない限り当然出来る。その事を深く考えてみた。日々の暮らしは昨日も今日も、なにも変化はないが1年前とは違った生活をしている。毎日、少しずつ、薄く変化しているのだ。現在過去未来。ぼんやりと訳がわからなくなってきた。ただ、過去はもう過去でしかなく、その代わり未来は見る事は出来る。
ここはでは哲学っぽくまあまあ俺も深い男やなと思ったが、現在過去未来と浮かんだ瞬間、渡辺真知子が出てきた。情け無い。
考えるのは退院して仕事するまでの時間をどう過ごそうかを考える事が楽しい。いろいろ考える自由がそこにある。
その、考えてる1つは、せっかく京都におるから神戸から京都に帰ってもすぐには働けない。足の筋肉をつけるために歩きなさいと医師に言われた。スマホで京都の散歩コースを探していると行ってみたいお寺を見つけた。
「妙心寺 退蔵院」
理由はただ単に読み方が同じタイゾウだけで。調べたらなかなかいい感じの禅寺でお庭も良さそう。ここはいっそのこと禅寺やから坐禅組んで、坊さんに背後から思いっきり木の棒で叩いてもらいたい。しかし座禅って何分間目をつぶるんやろか。まさか30分とかあるんかな。3分すら困難やと思う。その上、おそらく微動だにしてはいけない。その困難を乗り越える事に意味があるんやろ。
今の俺には出来そうなきがする。