それが美味ければなおさらやし、美味いもんしか食べない。美味いもんを捜しに旅に出たり、それか近場でありそのお店まで行く道のりすら小さい旅になっている。何度もその長いこと通ったお店のマイ定番メニューも、食べては「美味い」と再確認して大満足するし、思い切って初めてくぐった暖簾の奥にたまらん美味いお料理に出会えた感動も、これからの人生に大切なカードの一枚になる。ましてや僕は美味い餃子を作ってお客さんに「今まで食べた餃子で一番美味い」と思ってくれる餃子を作る。たが、人には好みがあるから、なんぼ美味いと思って作った餃子がその人には、なんのインパクトのない餃子の可能性も山ほどあるのは本当に自覚しとかなあかん。一番やとは絶対思ったらアカンが、一番やと思って餃子を焼いている。
昨夜、1人の割腹のいい酒の飲みっぷりがストレートで九州から来てくれた紳士な男が一人で5000円ほど使ってくれた。何度も餃子を追加してくれた。忙しかったから話すことは少ししか出来なかったが、その支払い内容だけで僕のお店を満足してくれたのは感じられた。
商売冥利につきるし、なにが美味いかを教育してくれた関西弁で言う「おかん」に心の底から感謝してる。
ただ、その関西弁で言う「おかん」は舌の教育はしてくれたが金儲けに徹する商売のやり方の教育はイマイチ爪が甘かったな。
ちなみにこの写真は、先週の食のラインナップである。